2018年5月20日日曜日

アマゾンの籠

ふぢこさんのお連れ合いから、ブラジル、マナウスのお土産をいただきました。


この籠を見たとき、ブラジルのものとは思わず、
「あれっ、インドネシアにもいらしたのですか?」
と、とんちんかんなことを言ってしまいました。

網代編みでつくっているところ、赤や黒に彩色したラタンで斜めに模様をつくるところ、ラタンが柔らかくてしなるところなど、インドネシアやマレーシアの先住民がつくったものだと思ってしまいました。
「いえ、ブラジルでよく使われている籠です」


私の持っているマレーの籠の中にそっくりなものがあったらお見せしようとさがしてみましたが、一目見ただけでそっくりというものは見つかりませんでした。
それでも、原理が似たものがいくつもありました。


「わぁ、さすがにアジアは細かいですね」
まぁ、そうとばかりは言えないかもしれません。というのは、私は細かいもの、大まかなものいろいろ見ましたが、たぶん細かくできているものを選んで手に入れてきたのだと思います。


網代編みで模様を出しているのですから、ラオスのもち米入れとも似ています。
ただ、ラオスの籠の模様は幾何学模様ではなくて、文字(ラオス語)が書かれています。


バリの古い籠と比べてみると、さすがに模様の細かさが違います。


このような編み方の籠は、底、しかも底の四隅が一番傷みやすいのですが、バリの籠は底は太いラタンで編んであります。


右はボルネオ島サラワクの籠、網代には編んでないのですが、似たつくり方で、籠全体がしなやかにたわみます。


ラタンはヤシの一種で、その属の中に380種類くらいあります。
ボルネオの熱帯多雨林とアマゾンの熱帯多雨林では植生は違いますが、気候環境が似ているので、似たようなラタンが採れるのかもしれません。

『FOLK ART OF THE AMERICAS』より

『FOLK ART OF THE AMERICAS』の中に、似た籠を見つけました。この本によると、この籠をつくっているのは、ティリヨーという先住民だそうです。
いただいた籠もティリヨーの人々がつくったのでしょうか。








2018年5月19日土曜日

京生まれどすえ


さしたる特徴のない招き猫、柔らかい泥を、型に流し込んでつくったもので、おそらく京都で売られていた、土産ものの猫だと思われます。
新京極あたりの、修学旅行生相手の土産もの屋が並んでいるあたりの、手軽な土産ものだったのでしょう。


大きい方も、京都のお土産猫です。
チープ感が漂っていますが、今も売られているのでしょうか。


大きい方の猫は底に、「京都市・市観光協会 推奨 501」と書かれたシールが貼ってあります。

戦後、千万両と書かれた小判を持った常滑系の招き猫が大衆食堂の店先を中心に、日本国中を席巻しました。そんな、小判を持った招き猫全盛の中で、京都の招き猫たちは小判も持たず、独自のスタイルを持っていました。


もっとも、若いころの私が好きだったのは、参寧坂や清水坂で売られている豆人形で、学生時代もよく行きましたが、倉敷にあった祖母の家に行くために京都を通るとき、途中下車しても行ってみたのは、いつも参寧坂や清水坂界隈でした。


参寧坂にあった、大きなガラスのショーウインドーのある店は、かわいい豆人形をたくさん並べていましたが、いつ行っても閉まっていました。
この店にはおそらく、前後十年くらい通ってみたと思いますが、結局開けていた時があって目的を達したのか、あるいは閉まったままだったのか、今となっては記憶もあやふやですが、この羽織姿の招き猫がそこにいたような気がします。


さて、お土産ものの京都の猫ですが、こうやって並べてみると、「安もの感」より、「都のみやび」を漂わせていると思うのは、私だけでしょうか。
大きい猫は、傷ついているからと値引きしてもらって、今はない中野の招き猫専門店で買ったものですが、2011年の地震で脇腹に穴が開き、破片が中に落ちていて、ジャラジャラと嫌な音を立てます。
そんな傷だらけの猫ですが、脇腹に穴が開いただけで3.11を生き抜いたなんて、奇跡のようでした。






2018年5月18日金曜日

すりガラスの向こう


車で道を走ったり、電車の窓から外を見たりしていて、すりガラスの向こうが台所になっていると、つい見てしまいます。
いつも通る道から見える台所、なじみのない道で、一瞬見る台所などいろいろあるけれど、信号で止まったところにあると、写真まで撮りたくなります。


中から見たら、何の変哲もない台所に決まっていますが、法則でもあるようにすりガラスで、たいてい出窓、光を遮るものを、ガラスの前にいろいろ置いてあります。


あまりにもありふれた景色、どうやって定番になったのかなぁ。

それにしても日本の出窓は中途半端です。デンマークのように素敵なものを飾って道行く人を楽しませようという気はさらさらなくて、唐突に壁から出ているだけ、たいてい物置になっていて、「見ないで」感が伝わってきます。




2018年5月16日水曜日

我が家のククルカン(もどき)


昨日の朝、7時22分に夫が写した写真です。
雨どいとしてつくってあるコンクリートの柱に、屋根の影が映って、模様があらわれています。
一年前に、やはり夫が写したのとまったく同じですが、前のは六月、今度は五月です。太陽が、真東より北から上って、真西より北に沈む季節、つまり春分を過ぎたころから秋分前まで、太陽が瓦の軒の真東と真西に差し掛かると、このように瓦の影ができるようです。
「午後も、15時45分ごろ見られるよ」
「そうぉ?」
私はまだ半信半疑でした。


ところが、15時48分、コンクリート柱の西側に瓦の影が見えました。
しかも、客人が13人も来ている中で見えたので、たくさんの人の目を楽しませました。


初めて目にしたのは二年前でしたが、東側から写したのは昨年も昨日も夫、私はまだ、東側に映る影は、写真でしか見ていません。
というわけで、今朝見てみることにしました。


6時56分、太陽はまだ、屋根の真東に来ていません。
地面には軒下より南に屋根の影が落ちています。


コンクリートの柱の上にだけ、光が当たっています。


左は7時13分、右は7時20分。
次第に、光の部分が増えていきます。
 

そして、7時28分、とうとう太陽が真東に来ました。
地面に落ちる影も、軒先の真下です。
  

我が家の蛇神、ククルカン(もどき)です。


チチェン・イツァのエル・カスティーヨで、蛇神ククルカンがあらわれるのは、一年に二度だけです。
でも、我が家では晴れてさえいれば、春分過ぎから秋分前まで、一日に二度、ククルカン(もどき)が見られます。
エル・カスティーヨでは、春分と秋分にククルカンがあらわれるよう、計算しつくされて石が積まれました。
我が家では計算も何も、雨どいとしてつくったので、軒先の真下だったので、ククルカン(もどき)があらわれたのは、まったくの偶然でした。
しかも、ひろいちさんの桐の木が切られる前だったら、たぶん朝のククルカン(もどき)は見ることができなかったことでしょう。





2018年5月15日火曜日

田んぼの姿

映画もテレビドラマもほとんど見ませんが、朝の連続テレビ小説だけはよく見ています。
大道具小道具を見るのが好き、例えば、部屋や店の飾りとして招き猫がよく出てきますが、
「あんな猫、部屋に置かないよ」
とか、
「時代が違う」
などと、あら捜しをしながら見ています。

特に、野外ロケの場合、隠しようもなく、「嘘」が目立ちます。
例えば、昭和30年代の稲刈りの場面があり、大掛かりな手刈りのロケが行われていましたが、刈り跡が違うのです。
稲を刈ったその株が、まっすぐでなくて、田んぼの形に沿って曲がっていました。


これが、機械植え、しかも八条植えの田植え機を使ったことがわかります。
まっすぐ行ったり来たりして植えた後、最後に曲がった道に沿って田植え機を動かしたので、苗が道に沿ってカーブしています。
まっすぐ植えていた、端っこの苗は機械に巻き込まれて沈んでしまったのです。


手で植える場合、端が田んぼの形に添って曲がったりしません。
細い幅しかない棚田だったら、田んぼの形に添って植えることもあるかもしれませんが、綱を張ったり、水の中に線を描いてそれをガイドにしたりするので、稲はどこまでもまっすぐ植えられることになります。


これは、ジョニー・ハイマスさんの写真(『たんぼ』(NTT出版、1994年))を拝借したものですが、畔の左の田んぼが手植え、右の田んぼが、機械で植えてあることがわかります。


農村の高齢化、離農化で畑は放棄されているのが多いものの、水田は、農作業を機械化できたことによって生き残れているのは素晴らしいことだと思わなくてはならないのかもしれません。






2018年5月14日月曜日

わくわく水鏡


今年も、水鏡があちこちに出現しています。


水が暖められたり、風が吹いたりすると、水面にさざ波が立って、はっきり映りません。

筑波山

そして、二週間もすれば稲が育って、水面はすっかり覆いつくされてしまいます。

真ん中が足尾山、右が加波山

村中に深い沼が出現したような、とっても不思議な気持ちで過ごす、数日間です。





2018年5月13日日曜日

上棟!

昨日は、O家の上棟でした。
たぶん、昨日一日では組みあがらず、今日も続くはずです。今日は午後から雨とか、降り出す前に、棟が上がるといいのですが。


私たちは、体力勝負の棟上げはお手伝いできないので、見学だけでした。
今は田植えそのほか、一年で最も忙しい季節の一つですが、有機農業の仲間などが、手伝いに来ていました。


ユニックのクレーンはきこりのHくんが動かします。
Oくんの家に入る道が狭いので、クレーン車は入れません。ユニックはアームがクレーン車に比べると短いので、家の前に後ろにと、何度となく移動しなくてはならず、一か所通れないところがあるので、そのたびに大回りして、それで時間がとられているようでした。
といっても、クレーンの力は偉大です。


柱を立てては、梁を乗せていきます。


大工さんが手刻みしておいた材が、どんどん組まれて行きます。

足場の上に立っている右はフリーライターのTさん。Tさんも数年前に友人たちの協力で、自力で上棟しました。
左は、100の手を持つと噂のYさん。有機農業や大工だけでなく、いろいろなことに精通しています。
先日も、Sさんに、ブルーベリーの剪定の話をしていたら、
「あぁ、Yさんにお願いするといいですよ。農家よりうまいから。もっとも引っ張りだこだから、すぐ予約を取った方がいいです」
と言われてしまいました。
八郷だけでなく、九州(?)の方にも行っているとか、八面六臂に活躍されています。


さて、軽トラックに乗って出番を待っていたのは、大黒柱でした。


「わぁ、どう立てるのだろう?」
興味津々でしたが、あまり長居もできず、立つ前に戻ってきてしまいました。


まだまだ、たくさんの材が出番を待っていました。