2011年5月4日水曜日

カモテ籠





フィリピンのルソン島北部は、起伏の多い地形で、棚田も多く見られます。
村が点在していますが、地形上、舗装された広い通りは少なく、どこへ行くのも、自分の足で長い道のりを歩いて行くというのが、生活の基本です。

歩いていると、家々の軒先には、様々な形の籠がつるしてあるのが見えます。




これは、カモテ(サツマイモ)専用の収穫籠です。
底を首の後に乗せ、バンザイしたような姿で、籠の縁の隙間に指を入れ、両手で籠を支えながら家までの道を、あるいは売るためには大通りまでも、運んでいきます。

小さいのは、幼児用の籠です。大きいのは直径60センチくらいですが、これも子ども用かもしれません。もっと大きな籠があるからです。




北ルソンでは、ラタンだけで編んだ籠の方が一般的ですが、カモテ籠は竹で骨組みをつくり、ラタンで編んであります。




底は、肩に乗せやすいように小さく、上はできるだけたくさん入るように、大きく広がっています。




籠の底は木で、丈夫にしかも装飾的につくってあります。

サツマイモの原産地は中南米です。
原産地から世界中に広がったルートとしては、「クマラ・ルート」、「バタータ・ルート」、「カモテ・ルート」の三つがあります(『サツマイモと日本人』伊藤章治著、PHP新書)。
クマラ・ルートは、サツマイモをクマラと呼んでいた人々が、コロンブス以前にポリネシアに伝えたルート。
バタータ・ルートは、西インド諸島の、サツマイモをバタータ(ポテート)と呼んでいた人々からスペイン人が手にいれて、ヨーロッパに持ち帰ったルート。
カモテ・ルートは、サツマイモをカモテと呼ぶメキシコのアカプルコから、スペイン人がグァムを通ってフィリピンへ伝えたルートです。
日本へは、バタータ・ルートとカモテ・ルートから中国に伝わり、沖縄、鹿児島と伝わってきました。その過程で、バタータとカモテの呼称が消えて、唐芋から、薩摩芋となりました。

浅草にあるお芋菓子屋さんでは、大学芋は、「ベニアズマ」、「鳴門金時」、「カモテ」の三種類があります。そのうちのカモテは、インドネシアで契約栽培したサツマイモを使ったものだそうです。
カモテは、ベニアズマ、鳴門金時に遜色の無い、おいしいお芋です。

世界で、どのくらいの人口が、サツマイモをカモテと呼んでいるのでしょうか。




村で見かけた、換金作物のブロッコリーを運んでいる籠は、何の変哲もない、無骨な籠でした。



2 件のコメント:

Elmer I. Nocheseda さんのコメント...

This is called "kayabang" basket. In Benguet Province, it is also a symbol of wealth. It is very practical basket. It does the wonderful work of raising the center of gravity of the load and actually lifting the burden even before the bearer carries the basket.

さんのコメント...

Elmer I. Nocheseda
kayabang is a nice name. Thank you.
When I have been in Benguet in January 2002, it was not a season for harvesting sweet potato.
But I saw many kayabang hanging under the raised-floor of village houses.
How lovely it was!