2011年12月30日金曜日

小匣



仕事で行く夫について上海と北京を二週間ほど訪ねたのは30年前、1981年のことでした。
まだ、みんな人民服を着て、通りには車の影はめったに見えず、自転車が行きかっていました。
接待は行き届いていましたが、どこに行くにも監視の人々がついてきて、ちょっと古めかしい路地などをのぞこうとすると、
「だめ」
と、通せんぼされました。

朝、上海の古い街の路上にでは、家々の前にきれいに漆を塗った、赤と黒のバケツ型の木のおまるが洗って干してありました。
「見たいから、車を停めて」
と頼んでも、あいまいに笑われて、無視されるだけでした。

ちょっと町を離れると、屋根に立つ、動物や花の飾り物が夏の日差しにきらきら光っていました。

当時、外国人は中国人とは別の、特別な貨幣を持たされました。そして、その貨幣を使わせようと、あちこちの外国人専用の友誼商店に、毎日のように連れて行かれました。その貨幣は、友諠商店でしか使えないものだったのです。
がらんとした友誼商店で、ときおり日本人の観光客の団体と出会うことがありました。当時は中国への個人旅行は許可されていなかったはずです。
彼らはつむじ風のように入ってきて、いつもガイドに、
「20分だけ」
などと先を急がされ、誰かがたまたま足を止めた商品(多くは墨やすずり)のところに人垣ができて、みんなで同じものをまとめ買いして、つむじ風のように去っていきました。

それに比べると、のんびり隅から隅まで眺めて、ほとんど何も買わない私たち一行は、全然いい客ではありませんでした。




そんな友誼商店で見つけた、小さな箱と鈴です。




七宝の小箱です。




博物館の度肝を抜かれるような細かい細工、たとえば米粒に長い詩を書くとか、一本の象牙を彫って、家が連なり、人が行きかう町をつくるとか、裏表から見てもまったく同じに見える刺繍、といった人間業とは思えない工芸品と比べると、さっぱりしたものに感じられますが、なかなかよくできた箱でした。
金属は焼くと変形したりしますが、どの方向でも、ぴしゃりと蓋が閉まります。




おめでたい桃の形の銀の小箱には、部分的に七宝が施されています。おめでたい蝙蝠も描かれています。




蓋は、ずらして開きます。みごとな細工です。




側面には、毛彫りで模様が描かれています。




銀の鈴です。
石はなにでしょうか。宝石にはめっぽう疎い私にはわかりません。




側面の花の打ち出し模様です。

かつて、この箱たちは私の持っている他のものたちとは若干異質な感じもしましたが、今ではすっかりなじんでいます。

お正月飾りがちょっと寂しかったので、小さい箱たちも一緒に飾ることにしました。




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