2011年7月31日日曜日

小さい形に楽しみを詰めて





台所道具のミニチュアは、ドールハウスに飾るという目的でつくられます。ちょっと小さすぎるけど、ままごと道具にしても、楽しいものです。
このお鍋セットは、たぶんドイツのもの、古い友人Nさんにいただいたもので、はげてしまいましたが、持ち手が黒く塗ってあり、裏は真鍮色の、丁寧につくられたものです。

台所道具のミニチュアは、ミニチュア中のミニチュアでしょうか。




お鍋はともかく、スパナのミニチュアとなると、そう見かけません。
息子たちが小さい時に、どこかからか手に入れてきたものです。




一人前に、ちゃんと閉じたり開いたりします。
鋳物でできています。




これはサバイバルナイフ、旅に出るときなど便利なものです。
本物とミニチュアとでは、ちょっと機能が違うのですが、




開くとこんな感じになります。
ミニチュアのサバイバルナイフには、フォーク、スプーン、ナイフ、栓抜きがついていて、スプーンの大きさは、耳かきほどの大きさです。

これも息子が持っていて、
「一緒に持っておいて」
ともらったものです。

ミニチュアは、小さい分、本物よりつくるのが大変なときもあります。
遠い昔のもので、まだ精密な中国製品がそう出まわってなかった頃のものですから、もしかしたら日本でつくられたものでしょうか?



2011年7月30日土曜日

台所道具 キャセロール編





私のオーブン用お皿(キャセロール)の原点は、フィンランドのアラビア社のお皿です。ルスカという名前のシリーズのもので、アメリカの小さな町に住んでいたとき、おしゃれなお店に並んでいて、一目惚れしました。
当時はたけのこ生活で、余分なものを買うゆとりは、全然ありません。
それでも欲しい!
赤ん坊を抱えていてもできたこと、ベビーシッターをして、手に入れたものです。

以後、このお皿は、数えきれないほど食卓にのぼってきました。

さて、二年半のアメリカ生活を送って、日本に帰国したおりには、すっかり「アメリカ的生活」に、かぶれていました(笑)。オーブンのある生活がしたいと思い、マジックシェフという、ビルトインのオーブンを見つけて設置しました。




ルスカは相変わらず活躍していましたが、子供たちも食べ盛りになり、もう一枚、キャセロールが欲しくなりました。
日本のデパートにも、そろそろ北欧のお皿が並びはじめていました。
確か銀座の松屋だったと思いますが、見つけたのは、スウェーデンのグスタフスベリ社製のビルカという、長径が39センチもある大きなお皿でした。

マジックシェフのオーブンは二段になっていましたので、二種類のオーブン料理が一度にできます。このお皿もよく食卓にのぼりました。

東京郊外に定住して九年暮らしましたが、1980年代初頭からまた、あちこちに移動する生活がはじまりました。




ずっと、簡便な電気オーブンや、電子レンジと併用のオーブンを使う生活、またオーブンがない生活が続きました。
内部が小さくて、お皿を乗せるテーブルがぐるぐる回るようなオーブンでも、パイレックスの丸いお皿だけが使えました。

パイレックスのお皿は、買ったり、いただいたりして、今でも数枚ありますが、




いただいたお皿についていた、ラタンのカバーはとっても便利です。まだぐつぐつ沸騰しているお皿を乗せて運びやすいし、お皿の縁まで、籠で覆われるので、
「熱いから、お皿に気をつけて!」
と、いちいち注意しなくてもよいからです。




パイレックスよりちょっと大きい丸いお皿は、オーブンによっては、使えたり、使えなかったりでした。




ここ八郷に来て、久しぶりにまた、二段になった大きいガスオーブンを設置しました。
やれ嬉しや、と思いきや、子どもたちが小さい頃に使っていたお皿は、二人暮らしの普段使いにはちょっと大きすぎます。




そこで、よく使うのは、深めの小さなお皿です。




丸いお皿より、楕円形のお皿の方が、材料を並べやすいこと、食卓に起きやすいことなどから、お菓子を焼いたりする以外は、たいてい楕円形のお皿に手が伸びてしまいます。

以前、四角いお皿も持っていたことがありました。ラザニアを焼くときなどは、四角いと便利ですが、角をきれいに洗うのが難しく、いつの間にか使わなくなりました。




欲を言えば、どれも熱々を食卓に運ぶものですから、パイレックスのお皿についているような、使いやすいカバーが欲しいところです。自分でつくればいいのですが、なかなか...。
いつもは魚の形をした板に乗せて使っています。

もっとも、つくっている料理は、野菜を切って焼くだけのような、超簡単なものばかり、とてもお見せできません。



2011年7月29日金曜日

消しゴムのパンとお菓子





めったに行かないコンビニですが、行くとなにか見つけてしまいます。
「パン屋さんの消しゴム」入り、チューイングキャンディー「ガブリチュウ」、最初は一箱だけ買ったのですが、中身を確かめてからて、もう一度出かけてしまいました。




全12種あるというのに、5種類で我慢。他のコンビニをまわって、揃えたりしないところが、大人の分別というものです。




それにしても、消しゴムとして使えるのかしら?
ホットドッグは二つあるのに、消しゴムとして試してみないところは、大人の分別ではなく、ただのもったいながり屋だけです。


2011年7月28日木曜日

アフリカ・ジグソー





南スーダンが、長い内戦の末、この7月9日に分離独立して、アフリカで54番目の独立国となりました。

アフリカの地図を見ると、国境線が長い直線だったりして、国の形成に、植民地統治時代が色濃く反映しているのがわかります。
英国とエジプトが1899年に共同統治下に置いた南北スーダンは、北部にアラブ系のイスラム教徒が、南部に黒人の伝統宗教徒やキリスト教徒が多く住んでいますが、1956年に南北が統一した形でスーダンとして独立しました。

独立直前に勃発した南北間の内戦は、1972年に停戦しましたが、北部による政治・経済の主導が続きました。
1983年には、北部の中央政府が全土にイスラム法を導入したことに南部が反発し、第2次内戦に突入しました。2005年1月の南北包括和平合意までに、約200万人が犠牲になりました。




この、ジグソーパズルは、1990年頃ケニアのナイロビで買ったものです。
1993年に53番目としてエチオピアから分離独立したエリトリアも、まだありません。

ソマリアはアフリカ大陸の東に突起していて、「アフリカの角(つの)」と呼ばれています。
アフリカの中でも旱魃(かんばつ)の起こりやすいところで、今年は、1984年以来の大旱魃で、たくさんのとくに子どもたちが飢餓に直面しています。
半砂漠で、ほんのちょっとの気候変動が食料生産に大きく影響しますが、長年紛争が続いていることも、被害を大きくしています。




アフリカには54国ありますが、このジグソーパズルは、38ピースしかありません。
エリトリア、南スーダンが含まれていないだけではなく、小さい国々、例えばトーゴはベナンと、ジプチはエチオピアと一緒になっています。
また、セーシェルのように小さな島国もありません。

それでも、どんな国が、どんな形で、どこにあるのか、アフリカを学ぶのにとても役立ちます。




何度か遊んでいると、ピースを見ただけで、だいたいの位置に置いていけます。

でも、自慢するにはおよびません。中南米の国々の配置や、中央アジアの国々の配置に関しては、全くお手上げなのですから。

国名と一緒に首都名も覚えると、もっと関心が広がります。
ちなみに、南スーダンの首都は、内戦の焦点だったジュバになりました。


2011年7月27日水曜日

子福猫水滴





招き猫を、本格的に集めだしてから数年後、初めて手にした「骨董の招き猫」ではなかったかと思います。
西荻窪の、どちらかと言えば、洋風なものを商っているお店で見つけました。
昭和初期につくられた、「子福猫水滴」です。




日本招猫倶楽部では、毎年一つか二つ、今はもう廃絶してしまった古い猫の復刻をしています。1998年の復刻猫は、この「特製子福猫水滴」でした。

すでに古い猫を持っていたのですが、復刻猫も申し込みました。200体復刻されて、希望者が多いときは抽選になります。

ところがその年の九月、思い立って瀬戸の「招き猫まつり」に行きました。
復刻猫は、通販されますが、招き猫まつりの会場でも売られます。まだ手にしていなかった復刻猫を見たら欲しくなり、
「二匹になってももいいや」
と買ってきました。




申し込んでいた通販の子福猫の方も無事手に入ったので、一挙に三個になりました。

古い猫と日本招猫倶楽部の復刻版、とてもよく似ています。
古い猫は鼻の頭が黒くて、身体の模様も少しだけ違います。また、古い猫の方が、少し小さめです。




復刻猫には、復刻されたことがわかるよう、ナンバーが振ってあります。




3月11日の地震では、どれも棚から盛大に飛び出していました。二階の窓から階段の踊り場に飛び出して、さらに階段の下まで落ちたのもありましたが、全員無事でした。

生き残っってくれて嬉しい猫たちです。


2011年7月26日火曜日

朝飯前の縫い物





毎朝、六時台には起きますが、今朝は五時前に目が醒めてしまいました。
「一寝入りしようか、どうしようか。えい、起きよう」

早起きを利用して、朝めし前に腕カバーをつくることにしました。
ブヨや蚊、毛虫などから皮膚を守るため、この時期は腕カバーが必需品ですが、どれもゴムが伸びたりしていて、使えるのは一つだけ、汗で濡れてもそのまま使ったりしています。

布は、妹が買ったのに使わなかったものがまわってきていて、くま模様や、ミッキーマウス模様のものがたくさんあります。

布を切り、




ゴムを輪っかにして、




ミシンで、がちゃがちゃ縫います。




五組の腕カバーができました。

庭を手入れする道具や、お菓子を保存するビンなど、いちいちこだわっているくせに、着るものには全く無頓着な今日この頃です。

さっそく、赤い腕カバーをして、田圃の畦の草を刈ってきましたが、ちょっと派手だったでしょうか。



2011年7月25日月曜日

ちょっとおしゃれなバリの猫





無国籍化している、バリの猫たちですが、バリの街を歩けば、まだまだ個性的な猫たちが潜んでいます。
1990年代の終りに、バリ島のデンパサールやクタの街で見つけた猫たちです。




メルヘンの国からやってきたような、親子猫。




目とヒゲが素敵な、青い猫。




招き猫もいます。




いろいろなお店をのぞいてみると、どこでも見かける猫たちに混じって、そこにしかいない猫たちが息づいていました。




傘をさした猫は、ちょっと古めかしい雰囲気を漂わせています。そのときより20年ほど前に、バリにあふれていたカエルたちを彷彿とさせます。

私は葉っぱを掲げて雨乞いしている雨乞いしているカエルしか持っていませんが、葉を傘にしたカエル、楽隊を編成しているカエルなど、いろいろなカエルがいました。




傘も素敵です。



2011年7月24日日曜日

猫に見る、バリの木彫りの変遷





インドネシアのバリ島は、木彫りの盛んな島です。
人々は、島に生えていたナンカの木(ジャックフルーツ)に神様を彫ることで腕を磨き、その高い技術を親から子へと受け継いできました。
木彫りの神様はやがて、増えた観光客にもてはやされるようになり、バリ島のナンカの木はほぼ切りつくされてしまいました。




まだ日本人観光客がほとんど足を向けなかった、30年ほど前の、バリの木彫りの猫です。
神様とは、木彫りの技術がぜんぜん違うものですが、色あいといい、表情といい、バリらしい猫です。




日本人観光客が増え、日本の雑貨店でもバリのものをよく目にするようになった15年ほど前、神様より、猫などのお土産物の木彫りの方がすっかり主流になりました。

当時、釣竿を持った猫を、よく見かけました。




どれも、別々なときに別の場所で買ったり、お土産にいただいたりしたものです。




この頃から、バンコクなど東南アジアの街々にも、バリの雑貨を扱うお店が出てきました。アセアンの域内流通です。
魚釣り猫は、タイの週末市場で見つけたました。




棚の端などにちょこんと腰掛けさせる、バリの木彫りの動物も、巷にあふれるようになりました。
雑貨屋さんだけでなく、いろいろなショールームや、ショーウィンドウなど、どこにでも腰掛けているのを見かけます。

このあたりの農家で、
「まあ、ちょっと上がって行けや」
と言われて家に入ると、よく飾ってあるのは、こけしや、鮭をくわえた熊の木彫りではなく、バリの木彫りの動物だったりします。




そして、現在のバリ製招き猫です。
「えっ?」
この顔は、中国製の100円ショップで売っている招き猫と、そっくりです。

バリ猫も、最近では完全に無国籍猫になってしまいました。




これは、グローバリゼーションと呼ぶべきものでしょうか?

「笑ってればいいってものではないのよ」
と、木彫りの猫たちに言い聞かせてみても、ただニコニコ笑っているばかりです。
以前は、笑っている動物の木彫りなんて、まったく見かけませんでしたのに。

思えば、ナンカの木に彫った神様から、遠くへ来たものです。



2011年7月23日土曜日

カンボジア、手づくりの箱





カンボジア人は、木工に秀でています。
農具にまで、さりげなく美しい木彫りをほどこしていますが、箱をつくるのも得意です。
カンボジアに暮らして、いろいろな木の「箱」に出会えたのは、箱好きの私には、とても嬉しいことでした。

この手のついた箱は、骨董市場の片隅で、埃をかぶっていたものです。
職人さんがつくった箱ではなく、たぶん素人の細工ですが、なかなかよくできています。




持ち手も、





留め金も、




そして蝶番(ちょうつがい)まで、すべて針金やブリキを利用して、手づくりしてあります。




持ち手を止めた針金は、蓋の裏で曲げてあります。

手に入れたとき、蝶番の釘が一本か二本なくなって、蓋がぐらぐらしていました。私は釘も金槌も持っていませんでしたから、なおしてもらおうと、大家さんのところに持ち込んでみました。

私 の大家さんはマルチ人間でした。公務員なのですが、建物の一階で画廊を経営していて、休日や、仕事から早く帰ったときは、絵を描いていました。100号も あるような大きなキャンバスも、額縁もみんな手づくりしていましたし、二階から四階までの貸している部屋の改装や修理も、全部一人でやっていました。

大家さ んの描く油絵は、海外に住むカンボジア人が、レストランや自宅の居間に飾るのに欲しがるような、アンコールワットや、カンボジアの農村風景などがおもでし たが、肖像画も描いていました。お客さんから持ち込まれた、小さな古い写真を、みごとに特徴を捉えた、大きな油絵にするのです。カンボジア人だけでなく、 タイ人も頼みに来ていたようで、タイの昔の王様の肖像画を描いていたこともありました。

大家さんの小学生の息子が、私の持ち込んだ箱を見て、
「これはなあに」
と、怪訝そうにお父さんにたずねました。
私は、クメール語がまるでだめで、この箱がなにか、大家さんに説明もできないでいたのですが、
「これは、骨董の箱だよ」
と大家さんが答えているのを聞いて、安心しました。
普通の人が見たら、壊れた、きたない箱にしか見えないものですが、さすが大家さん、わかってくれていたのでした。




すぐに釘を打っていただいて、箱はしっかりしました。

あれから十余年、最初はクメール語しかしゃべれなかった大家さんの息子は、私が帰国する頃には、大家さん夫妻と私の間で通訳してくれるほどに英語が上達していましたが、なんと今では日本に留学して、日本語の上手な大学生になっています。