2012年9月30日日曜日


階段の踊り場に掛けてあるのは、夫の両親の週末の家に残されていた蓑です。
江戸っ子の父は晩年、飯能の山中にあった週末の家で農作業をするのを無上の喜びとしていました。留守の間は鶏が自給するようにと、休耕畑にどこまでも伸びた、大きな鶏小屋をつくって鶏を飼い、孫たちにお芋掘りをさせるため、サツマイモを植えたりしていました。
そんな父が雨のとき使っていた蓑です。


夫の両親とも他界して十年ほど後に、飯能の家を整理したとき、蓑は納屋にありました。
「そんなもの、取っておいても困るだろう」
と、夫は言いましたが、もちろん取っておきました。

スゲの蓑です。


黒い飾りはウミスゲとも言われた海藻、中央のちょっと色が濃い、カンナの削りかすのように見えるのはマンダ(シナノキ)の皮、この組み合わせの蓑が東北地方ではもっとも一般的でした。
 

内側は、スゲを編んで、身体との間に隙間ができるようつくられています。


たぶん銀座の「たくみ」で買ったものだと思われますが、父は正統な実用品を使っていたということになります。


蓑は、農業、漁業、林業、商業などの大切な必需品でしたが、高度成長以後使われなくなり、昭和四〇年代以降は、観光土産としての需要のみになったようでした。
その観光土産も長くは続かなかったことと思われます。なにせ場所を取りますから。

その昔、東北を旅したときに、すべて杉皮でできた、首周りは色糸で装飾した、美しい蓑を手に入れたことがありました。つくっているおばあちゃんが裂き織りもしていて、裂き織りを見に同行のさっちゃんに連れて行かれた家で、蓑もつくられていたのです。
その蓑は、まだ結婚する前、両親の家の玄関に飾っていましたが、なにせじゃまでした。やがて私が結婚して、すぐにガーナにも行くことにもなって、蓑の行き場所に困り、新聞で見たバザーに寄付してしまいました。
蓑をとりに来た人たちが、思いがけないりっぱな箕に喜んでいたのを覚えていますが、もうあんな蓑も、こんな蓑もつくれる人たちはいなくなってしまったことでしょう。


2012年9月29日土曜日

ヨシュカル・オラのマトリョーシカ


ロシア雑貨店リャビーナの店長さんのブログ、ロシア モノ・コト図鑑 に、ソ連時代に、マリ・エル共和国のヨシュカル・オラという町でつくられていた素朴なマトリョーシカが紹介されていました。
「こんなマトリョーシカいいなぁ、好きだなぁ」
と思っていたある日、なにげなくヤフーオークションをのぞいたら、似たマトリョーシカが出品されていました。しかも、あと数時間で終わるというものでした。

実はヨシュカル・オラのマトリョーシカだけではなく、ロシアの歴代最高指導者のマトリョーシカなど、別の三つのマトリョーシカとセットでした。
他のものは欲しくありませんでしたが、入札件数の多い割には安いお値段、ヨシュカル・オラのマトリョーシカだけの値段だとしても許容範囲、と思い入札しました。

ただ、それ以上高額になるようだったら、ご縁がなかったときっぱり諦めようと、入札してからコンピュータを消し、その夜は結果も見ずに寝てしまいました。
 

次の朝コンピュータを開けると、ラッキー、落札できていました。

今は復刻版もあるとのことなので、復刻版でもかまわないと思っていたのですが、届いてみたらオリジナルのものでした。
子どもが、さんざん開けたり閉めたりして遊んだようで、縁がぼろぼろになっていましたが、外側にはそう傷もなく、問題ありません。
かわいくて、とっても素朴な面々です。

マリ・エル共和国には、マリ人が住んでいて、かつては素敵な民族衣装を着ていた、その写しのようです。


いくらなんでも、ヨシュカル・オラのマトリョーシカに、まさか出逢えるとは思ってもみませんでした。
人生って、なかなか不思議なものです。


2012年9月28日金曜日

カバさん


子カバさん。


口を大きく開けることができます。


母カバさん。


口をもっと大きく開けることができます。

というか、母カバさんの口は、行くところまで行かなくては、ゆるいのか、ちょっと途中で留めることができないのです。


どこの国のものだかわかりません。
日本かなと思ったのですが、母カバさんの首はこんな細工で、日本の木工では、あまり見たことがないもの、北欧にはよくある細工です。
単純にも見えますが、随所に手慣れた仕事が見え隠れしています。

骨董市で、まことさんの店先にいました。
「いくら?」
「二つで千円」
「買う、買う」
二つ返事でいただきました。


カバの母子は、しばらく居間のテーブルの上でにこにこしていましたが、昔の同僚のタムタムさんの友人の、日本一のカバコレクター、ヒポミさんに連絡してみました。
すると、ヒポミさんは持っていないし、見たこともないとのこと、喜んで贈呈し、母子は幸せなカバの国の一員になりました。

よかったね。カバさん!


2012年9月27日木曜日

ご精が出ました


「半農半大工」が理想ですが、とてもとても。
春から秋にかけては、「半草刈り半その他いろいろ」が現実です。
昨日は、ちょっと草刈りして後は大工の予定が、結局一日じゅう庭の手入れをしてしまいました。
草を刈って、むしって、生垣の刈り込みもして....。


生垣は、ただ伸び過ぎた枝がつんつんしているだけのところもあれば、今年まだ一度も手入れしてなくて、ぼうぼうのところもあります。


まだまだ残っているけれど、少しはきれいになりました。


それにしても、達成感はあまりありませんでした。
一日の過ごし方としては、草刈り+草むしり二時間、あとは大工仕事、合間に農作業というのが、やっぱり一番充実します。


秋に入ってて、植物の成長速度はやっと遅くなってきました。
ちなみに、いつもは草のことを忘れている夫も、一日草刈りに専念しました。


2012年9月26日水曜日

ロシア民謡が聞こえてきます


骨董市でときおり、ソ連時代につくられたセミョーノフのマトリョーシカを見かけます。
日当たりのよい茶の間に置かれ、毎日夜遅くまで煌々と電気をつけっぱなしの日本の住宅事情が反映してか、どのマトリョーシカも色褪せたり、傷んだりしています。
とくに一番大きいものは、表情さえわからないほど退色したものがほとんどです。

マトリョーシカと並べて語られることの多いこけしに関しては、まっさらなものより、木が飴色に染まったものの方が美しいと思うのですが、何故かマトリョーシカは、退色していないものの方が好きな私です。

ところで、ロシアで年を経たマトリョーシカの中には、驚くほど美しいままで保たれているものがあります。 セミョーノフのマトリョーシカが欲しいと思ったら、ロシアの人か、ロシアによく行く人のお店を探すのが一番です。


そんな、保存状態の良いセミョーノフのマトリョーシカです。
一番大きいものも色あせず、美しいままです。


1955年製。
スターリンが死んだ、次の次の年につくられた、57年も前のものです。


定番の赤い衣装に黄色いプラトーク、後ろ姿も渦巻模様が素敵です。


その昔、街には、ロシア民謡の歌声喫茶がたくさんありました。誰でもロシア民謡の一つや二つ、三つや四つ歌えました。
駿河台下にあったロシア料理店「バラライカ」は、時おり夫の両親にご馳走してもらった、懐かしい場所です。

ロシアは物理的にも、情報的にも、精神的にも今よりずっと遠かったのに、なんだか近かったような、今思えば不思議な時代でした。
 



2012年9月25日火曜日

ラッキーキャット


二ヶ月に一度くらい、家づくりの手伝いに来てくれるKさんから、お土産にいただきました。
証券会社モルガン・スタンレーにお金を預けたらくれた、ノベルティー・グッヅだそうです。さすがアメリカの会社、「両」ではなく、「$」の小判を持っています。 

  
首に結んだバンダナも、よく見ると星条旗のようです。


ドルを持っている招き猫、ラッキーキャットは通常、肉球を後ろに回して手の甲を見せて、普通の招き猫とは反対に向けた手で「おいでおいで」をしています。
この縫いぐるみでは、手がどっちに向いているかまでは分かりません。

そういえば、我が家にいた、ドル招き猫たちは、残念ながら先の地震で壊れてしまいました。

2012年9月24日月曜日

入居してから三年半。やったね!


二階のお手洗いと三畳間の扉づくりは、「建具仕事」から長い間遠ざかっていたので、感がすっかり鈍っていて、一日一工程くらいしかできませんでした。
枠に板をはめる溝は、溝切りカンナで削ります。
溝切りカンナも、使うまでは億劫ですが、使ってみるとあっけないほど造作もありません。しかし次の工程がまたまた億劫。
こんなことの繰り返しです。


つくっている扉二枚は、天井が低いところに設置する関係で、てっぺんが尖った五角形になっています。下の二つの角は直角ですが、残り三つの角は直角ではありません。合わせ目が直角じゃないところは、どうやって接着したらいいのか、あれこれ考えました。

たいてい布団の中で、寝ているのか覚めているのかわからないようなときに思いつきます。結局、額縁をつくる要領で、薄い板を差し込んで糊づけすることにしました。


五角形の扉を、一度に組むか、あるいは段階的に組むか、やはり布団の中で迷いました。
一度に組むよさは、融通がきくことですが、どの角も定まっていないと、組むとき変形しやすいというリスクがあります。
結局、てっぺんはほぞを組むときに接着するよう残しておいて、両脇の鈍角の角は、先に糊づけすることにしました。
ボンドをつけ、板を差し込んでおいて、一日置きます。


ボンドが乾いてから、はみ出している薄い板を、切り取ります。
枠は杉ですが、薄い板は杉より強いヒノキを使いました。お風呂の壁材の端材を、自動カンナで薄くしたものです。


枠は33ミリの厚みですが、中に張る板は、材木屋さんで見つけた、厚さ12ミリ、サネつき(木端を階段のように削ってあるもの。凹凸をを合わせながら張ると、多少材が伸び縮みしても、隙間が開かない)だけれど、裏が平らな板です。
普通、壁材は木が反らないように、隠れてしまう裏に、浅い溝を何本か彫ってあります。でも、扉として利用する場合、両面から見えるので、片面に溝があるのは美しくありません。

さて、板を斜めに切るのも面倒なところ。
丸のこ定規を使う関係で、長い材しか使えません。自在定規を七寸勾配の印に合わせて切断します。


一方が切れたら、反対側は勾配を逆にして切ります。


七寸勾配の板がとれました。


仮にはめてみて、ようやく扉の形が見えてきました。


ほぞ穴にほぞがきちんとはまるか再度確かめ、材料を全部揃えて、いよいよ接着です。


てっぺんの角がきちんと合うかどうか心配でしたが、なんとか合いました。てっぺんにも薄い板を差し込んで接着しています。



やったぁ。できました。
完成です。


「おてあらい」のサインも、額縁を貼りつける要領で取りつけることができました。
と、ここで喜んでいるわけにはいきません。これから、ドアノブ、サムターン、蝶番などを取りつける仕事が残っています。


取りつける部品はこれだけ(+蝶番)です。


そして、使う道具はこんな感じ。


扉に、縦横いろいろ穴を開けて、


器具を押し込んで留めて、


ハンドル部分のできあがりでした。


一枚落着しました。
さて、もう一枚も、器具を取りつけましょう。


2012年9月23日日曜日

布飾り



土曜日、朝のうち激しく降っていた雨も、午後には何とかやんだので、笠間で開かれているガラジのピクニックバザールに行ってみました。



今年も盛況、昔の豚舎は素敵なしつらえです。



焼き物を並べたしがみさこさんのコーナーは、手づくりの棚がどれも素敵ですが、古材の残りを使った棚が、とくにいい雰囲気です。

我が家の玄関ホールには、今はごちゃごちゃと大工道具を置いていますが、作業室が完成した暁には、全部移してすっきりさせて、浅い棚をつくりたいと思っています。
そのときは、コンクリートの壁に、棚をちょっとだけ配置したい。どんな棚にしようかと、作業室ができてもいないのに、はやあれこれ考えているので、参考になります。

しがさんはいつものようにミニバーも開いています。


「あれっ、このコースターは!」

 

そう、道端に張ってあった布の飾りと同じです。


ちょっとした飾りで、お祭り気分は上々。


そういえば、カンボジアの村のお寺で、そっくりな飾りを見ました。


お寺の仏縁日。
こちらも素敵な飾りでした。

この日は料理を持ち寄ってお坊さまにさしあげ、 そのあと自慢の料理をならべて、みんなでいただきます。


境内では、近くのお母さんたちがにわか屋台を開いて、おいしそうなものをいっぱいつくっていました。