2015年1月31日土曜日

デンマークの動物人形


1970年代に夫が買って来てくれた、デンマークのお土産です。
夫が仕事でヨーロッパ各地に出張することになり、マルセイユにも行くというので、サントンのことだけはこと細かに頼みましたが、ほかは何も頼んだりしませんでした。
小さい人形なら、たぶん好きだろうと思って、買って来てくれたものです。

正直、全然喜びませんでした。
「なんだこれ?」
と思っただけでした。
漫画チックで、泥臭くない「お土産もの」には関心があるはずもなく、以後ずっと、あまり目立たないところに飾ってきました。


これらはセットだったのか、あるいは一つずつ売っていたものを夫が選んだのかわかりませんが、制作に統一性というものが、全然見られません。
上の二匹はどちらもうさぎとしたら、ちょっと変です。もっとも、左の人参鼻をつけているのはうさぎではなく、犬かもしれません。


これは両方ひよこでしょうか?
それとも左は、北欧によくいるらしいお化けでしょうか。とすると、どうして動物の中にお化けが混じっているのでしょう?


そして、この象と猫の姿の違うこと。
象には小さな小さな手足がついているのに、猫にはありません。そして、象の方がずっと小さいのです。なんと、バランスの悪いことでしょう。


なんて、悪口ばかり言っていますが、こんな小さなものを轆轤(ろくろ)で挽くのは、とても難しそうです。しかも、耳、足、羽などは、すでに十分小さいものを、さらに二つに割っています。
「どこを掴んで、どうやって割る?」
うっかりすると小さすぎて指でつまめないし、接着に失敗して落ちたりしたら、さがすのは一苦労だったりするでしょう。
もう少し大きなものをつくる方がずっと簡単です。

ともあれ、ちっとも大切にしませんでしたが、この動物たちはいまだに我が家に棲息しています。
同じ時、スペインで買って来てくれた漫画チックな石膏人形たちは、とっくに消え失せてしまったというのに。

 
今の我が家には、いくつか小さい棚があっりますが、この木の人形たちは、元は印字を入れていた引き出しの端に収まっています。


まあ、あまり目も引かない、枯れ木も山の賑わい的な存在ではありますが。



2015年1月30日金曜日

ワタリガラス


上橋菜穂子さんの物語は、登場人物たちがすべて魅力的ですが、動物たちも、実在・架空を含めて、生き生きと描かれていています。
『鹿の王』(角川書店、2014年)の主要な登場動物と言えば飛鹿ですが、ほかにも火馬、狼、山犬などいろいろ、ワタリガラスも短いながら重要な役割を担って登場しています。
谺主(こだまぬし、民間医療師兼呪術師)のスオッル老人が、ワタリガラスに魂を乗せて飛び、遠く離れた場所の出来事を見聞きするのです。

ワタリガラスは、確か『オオカミ族の少年』(ミセル・ベイヴァー著、評論社、2005年)シリーズや、『ゲド戦記』(ル=グウィン著、岩波書店、1976年)シリーズにも、同じような役割を担って登場していたと思います。

ワタリガラス(Corvus corax、レイヴン)は、実在の鳥で、ユーラシア大陸や北米大陸に広く分布していて、日本では北海道だけに飛来します。
普通のカラスより一回り大きく、大きな声で鳴くそうです。


ワタリガラスは、その昔から、北欧神話や、シベリア、アラスカ、カナダなどの先住民の神話に見られる、特別な鳥でした。
吉凶を知らせたり、世界の事象を神に報告する使者であったりします。

イギリスでは、「ロンドン塔からワタリガラスがいなくなるとイギリスは滅びる」というジンクスがあり、ロンドン塔の衛兵の中には、ワタリガラスはの世話をする、レイヴン・マスターという役職があるというのもおもしろいことです。

 
星野道夫の最後の仕事は、ワタリガラス神話を持っているアメリカ先住民たちを訪ね、それを記録することだったそうです。





2015年1月29日木曜日

ペーズリー

昨年は、インドからのグリーティング・カードが、何故かずいぶん時間がかかって届いたのですが、今年はさらに遅れました。


送り主のSさんは、いつ投函したかを郵便局にわからせるよう日づけを入れて、


「エア・メールは、飛行機を使うってことですよ」
と飛行機のマークまでつけてくれたのに、


そして、ラジーヴ・ガンディーとマザー・テレサという、強力な守護神つきだったのにもかかわらず、約一ヶ月かかって到着しました。
いったい、どんなルートでやってきたのでしょう?


カードは、ペーズリーの本場らしい、魚模様の素敵な版画です。


以前、やはりSさんにいただいたインドのお菓子の型にも、ペーズリーがあります。
布だけでなく、いろいろなところにペーズリーが活かされています。


赤い布と合わせてみたら、カードの色がすっかり飛んでしまいました。




2015年1月28日水曜日

おそば

ちょっと古い話になりますが、お隣のひろいちさんが打ちたてのおそばを持って来てくれたときの話です。
この村では、ひろいちさんだけでなく、たくさんの人がそば打ちに、はまっています。
つとむさんもそば打ちにはまった一人です。一年ほど前にそれまでの勤めを辞めて、野菜直売所の二階にあるおそば屋さんで、そば打ちをするようになりました。アマチュアからプロになって、「夢」を実現したというわけです。
そのおそば屋さんは、つとむさんのおかげですっかりおいしくなったと評判で、いつもお客さんで賑わうようになりました。
ひろいちさんもときおり、公民館で人を集めて教えたりしています。庭には、そば打ち小屋まで建てているという熱の入れようですから、おそばの研究に余念がありません。

「このあたりに、ひろいちさんお勧めの蕎麦屋さんがあるかなぁ」
と、そのときおそばを持って来てくれたひろいちさんに夫が聞きました。
ちょっと考えたひろいちさん、
「石岡の猪口才(ちょこざい)がおいしいよ。若夫婦だけでやっている店だけどね」

八郷だけでなく、このあたり一帯はそばどころです。
手打ちは当たり前、その日の分だけ石臼で挽いた粉で打ち、売り切ったらおしまいになる店も多いし、十割そばの店も珍しくないという贅沢さです。
そんなおいしいと評判のお店でも、
「今日は、もうちょっとだったね」
というときがあります。
おそばは打ってすぐがおいしく、しかも粉、水の質、水加減、打ち方、茹で方などが揃ったときにおいしい、微妙なものなのです。

ひろいちさんが勧めるお店はどんな店だろうと、しばらくして、石岡の町に用事のあったときに、猪口才に行ってみました。
町の借店舗ですから、外見は味もなにもありません。


ところが中は、テーブル席とカウンター席をほどよく配置して、居心地のよい空間をつくりだしていました。


置いてある本といったら、おそばの本ばかりです。
おそばを待っている間に、このお店も載っている、『茨城のそば屋さん』という本をめくってみました。本に掲載されているお店の店主は、おそばが好きで好きで脱サラされた方が圧倒的に多く、猪口才のご店主もそうでした。
特約した農家の育てた蕎麦を、その日に打つ分だけ石臼で挽き、お天気や粉の水分量を考えて打ち、供しているということでした。


いただいたおそばは、ひろいちさんが推薦するに十分こたえて、とっても美味でした。
打ちたての蕎麦は緑色をしています。

もっとも、ひろいちさんによると、おそばにてんぷらなど一緒に頼むものではない、大盛りもだめ、もうちょっと食べたいなと思うくらいの量が一番おいしいのだそうです。

大晦日には、例年通り、ひろいちさんが打ったばかりの年越しそばを届けてくれました。
その日は、近所でお百姓をしているkm夫妻と忘年会、やはりおそば好きのkm夫妻と、ひろいちさんのおそばで締めました。





2015年1月27日火曜日

小錦マトリョーシカ


胴が著しく張った、アンナ・リャボヴァさんの「小錦形」マトリョーシカです。


色はきれいだし、おもちゃを抱えているところも好ましいのですが、形はいまいちだと思っていました。


ところが、毎日目につくところに飾って、数ヶ月見続けているうちに、飽きるどころか、「小錦型」にすっかりなじんでしまいました。


小さい娘ほど、さらに胴が張ってきます。

マトリョーシカは、元々ロシアにあった、轆轤(ろくろ)で挽いたイースターの卵や起き上がりこぼしが発展したものと言われています。
また、轆轤細工の素地があったところに、お土産ものとしてもたらされた日本の入れ子の七福神に触発されて生まれたものだとも言われています。19世紀末のことです。
とくに、日本人は後者のお話を好んでいます。

いずれにしても、イースターの卵はもちろんのこと、箱根細工の七福神もほとんど胴がくびれていません。
いったい、激しくくびれて、激しく張りだしたこの形はどこから出てきたものでしょうか?


「小錦形」ではなく、「だるま形」と言うこともできますが、実際のだるまはほとんど胴がくびれていません。だるまはむしろ「卵形」に近い形をしています。

もちろん、マトリョーシカは木を轆轤で挽いたものですから、くびれていようといまいと、自由自在につくれます。


ロバノヴァ・タマラさんも、だるま形のマトリョーシカを好んで使っています。
でも、こちらはバランスが美しいだるま形で、必要以上に胴が張っている、小錦形ではありません。


タマラさんのマトリョーシカ二つ、前列の小さいものは、どちらも一番中の娘です。右は10人セット、左は3人セットなので、一番小さい娘の大きさが違いますが、どちらも、正しい比率で拡大・縮小したように、そっくりな形をしています。

マトリョーシカは、一番小さい、上下に分かれない「むく」のものをまずつくり、それから順番に外へ外へとつくっていくそうです。
ということは、一番小さいものが、大きいものの形を決めることになります。
 

ところが、リャボヴァさんの一番小さい娘はこんな姿をしています。
大きいのよりずっと大胆に胴が張って、胴の直径は頭の直径の三倍ほどでしょうか。


タマラさんの一番小さい娘と比べると、形が全然違うことがわかります。
いずめこではあるまいし、こんなに胴が張っているなんて、どう考えても変です。

マトリョーシカ作家(絵つけ家)にとって、どんな形の木地を使うかはかなり重要な選択だと思われます。リャボヴァさんは、台座のついたいわゆるマトリョーシカ形のバリエーションのほか、下が開いた釣鐘の形、そしてこの小錦形のものを使っています。
木の質は、そう滑らかではなく、比較的粗く削られたもの、なかには、内側はノミの跡がけば立ったような木地を使っていることもあります。
リャボヴァさんのマトリョーシカの、いわゆるマトリョーシカ形の場合、セットのなかの個々の形の違いはそう目立ちませんが、釣鐘型の場合、最後の娘が極端に細長い棒のようなことがあり、小錦形の場合、胴がおだんごのように膨らんでいます。
たぶん、そんな木地が好きなのでしょう。


毎日見ていたら、小さいほど胴が膨らんでいることが不思議になって、ついついリャボヴァ考をしてしまいました。
私の中で、マトリョーシカ・ブームはまだ続いているようです。






2015年1月26日月曜日

饅頭喰い


いまどきさんの、饅頭喰い人形です。
一昨年だったか、いまどきさんが、
「廃絶した名古屋人形の、最後の人形師であった野田末吉さんの型で、饅頭喰いをつくってくれないか」
という注文をお受けになったとき、いろいろ試作したときの、はねられたお人形さんたちをいただいたものです。

型は野田末吉さんの型ですが、色や模様は、今戸人形と言うよりいまどき人形です。
左の童子は、片身変わりの着物が華やかです。
顔料だけでなく、植物染料である黄柏(きはだ)や蘇芳(すおう)を煮出して彩色したので、何度も何度も色を重ねて、やっとこの色が出たとうかがっています。


こちらは、故野田末吉翁の饅頭喰いです。
縞の着物も青海波の着物も、とっても粋です。

饅頭喰い人形の誕生は、江戸時代にさかのぼります。
「お父さんとお母さんのどっちが好き?」
と聞かれた子どもが、目の前で饅頭を割り、質問した人に、
「どちらの饅頭がおいしいと思いますか?」
と聞き返し、半分に割った饅頭のどちらがおいしいとは言えないように、父母のうち片方がより好きとは言えないと言ったというお話にちなんでいます。

土人形は、伏見稲荷の近くの深草の器づくりの陶工たちが、余暇でつくったのが始まりとされています。それが伏見稲荷のお土産品として人気を博し、全国に持ち帰られ、それを倣って、日本各地で土人形がつくられるようになりました。


饅頭喰いも、最初は伏見でつくられたらしい、その伏見人形の饅頭喰いです。


長野県の中野土人形の饅頭喰いです。
中野は昔から、とても土人形つくりの盛んなところでした。お節句に飾ったりする童子の人形もたくさんの種類ありました。そのため、饅頭喰いをつくりはじめたときは、もとからあった童子の型を大筋では変えることなく、手に饅頭を持たせたそうです。
元々饅頭が目立ってなかった上、饅頭の色がすっかり消えてしまって、いまではとても饅頭喰いには見えなくなってしまっています。


宮崎県佐土原人形の羊羹喰いです。宮崎では饅頭のことも羊羹と言うのだとか、本当でしょうか?
佐土原も、とても土人形づくりの盛んなところでした。
羊羹喰いは、伏見人形では男児だったものが女児に変わっています。


饅頭喰いは、子どもが、健康でよい子に育つようにとの願いを込めて、家々に飾られたものでした。

いまどきさんの饅頭喰い、かわいいいです。
誰かにすごく似ているんだけれど、誰に似ているのだか、思い出せません。





2015年1月25日日曜日

『鹿の王』


遅まきながら、『鹿の王』(上橋菜穂子著、角川書店、2014年)を読んでいます。
と言いながら、今回は一気に読めません。
一度に数ページ、一日に数十ページ読んでは、読み続けるのをあきらめ、合間に別の軽い本を読んだりしてしまって、なかなか進みません。
まだ、ペースに乗れないのかもしれませんが、次はどんな展開になるのかと急ぐより、それまで読んだ文の濃さに押しつぶされて、先に行けなくなるという感じです。
登場人物は誰も魅力的で、わくわくしてしまいます。

いつの日か、アニメなどになったり映画になったりしないで欲しい、このまま、押しつけがましい画像にならないで欲しいと願ってやみません。


それにしても、カバーの影山徹さんの絵が美しい。


この絵を見ただけで、深く引きずり込まれてしまう感じです。





2015年1月24日土曜日

花に蝶、猫に首輪


引き出しの中に、以前、猫のトラに買ってやった赤いダヤンのついた首輪を見つけました。
トラが10歳のとき買ったのですが、小さい時から数えたら、通算では5本目くらいでしょうか。

それを買ったとき、それまでのと取り替えようと、はずしてみたら、古い首輪があまり傷んでいないことがわかり、新しいのはそのまま引き出しにしまってありました。
 

あれから一年余、古い首輪をはずしてみましたが、どこも悪いところがありません。
トラは365日これを首に巻いて、藪に駈け入り、泥の上でごろんごろんし、爪で首輪もひっかいているはずなのに、古ぼけてさえいません。
丈夫なものです。


「気分転換したいか?トラ」
と、傷んでもないのに、首輪を取り替えてみました。
キジネコには赤がよく似合います。もちろん、鈴はとっくに外してしまっています。


犬には首輪をつけたことはありませんが、猫は首輪がないと間抜け顔に見えると、ずっと首輪をつけ続けてきました。
トラは全然嫌がったことはありませんが、もしかしたら迷惑しているのかもしれません。
でも、よく似合っていると思うのは、ただの親バカです。






2015年1月23日金曜日

人形売り


いまどきさんからは、裃雛も届きました。
男雛の初々しさ、二つ一緒に掌に乗るほどの、小さなお雛さまです。

江戸から明治、大正にかけて、お雛さまをはじめいろいろな土人形は、藁やもみ殻を入れたもっこに詰め、天秤棒で担いで売り歩かれたり、市の日に屋台で売られたりしました。
明治25年(1892年)生まれの私の祖母は、天秤棒を担いで人形売りがやってきたのを覚えていました。

『日本の人形と玩具』(西沢笛畝著、岩崎美術社、1975年)より

この、市の写真で売られているのは、お雛さまではなくて天神さまですが、お雛さまやお正月のおもちゃも同じように、賑々しく売られたことでしょう。
こんな風景は、第二次大戦後も見られたようです。

裃雛を飾っていた、江戸、東京庶民の生活が、季節感に溢れた、楽しいものだったことがうかがえます。


ついでに、『日本の人形と玩具』から、江戸時代のおもちゃ売りの姿を二、三紹介します。
ヤジロベエ(弥次郎兵衛)は人気のおもちゃだったようで、この本にも、売り手が仮装したり、頭に売りもののヤジロベエを乗せて歩いたりと、いろいろな姿のヤジロベエ売りが載っています。

ちなみに、ヤジロベエは釣合人形ともいい、ヤジロベエは江戸の方言だったそうです。


この、うちわで風を送ると動く軽い人形に、「弥次郎」ではなく、「弥五郎」と名前がついているのがおかしいところです。


京都の伏見(実際は伏見の隣の深草)で、かわらけ(器)をつくる陶工たちが、伏見人形もつくって、作業場の外に並べて売っています。


伏見人形は、伏見稲荷の門前で売られて、全国各地にお土産としてもたらされ、それを真似て各地で土人形つくりがはじまったのですが、門前だけでなく、こうして担いでも売られていました。



2015年1月22日木曜日

いまどきさんの羊


いまどきさんから、干支の羊が届きました。
写真ではまったくうまく撮れていないのですが、キラ(雲母粉)を塗っているので、白いところが真珠のように光って、それはそれは華やかです。


こんな、オリエンタルな羊さんのイメージでしょうか。
イランの水差しです。

『日本の人形と玩具』西沢笛畝著、岩崎美術社、1975年

今戸人形だけでなく、日本全国の土人形の手本となった、京都伏見人形の羊もよく似た姿です。


母仔羊の背中にはシダ模様。


こちらの羊はヨウカンを背中に乗せています。
これは、いまどきさんの洒落心ですが、わかりますか?

シダは「羊歯」と書く、ヨウカンは「羊羹」と書く。
というわけで、羊尽くしなのでした。