2015年1月13日火曜日

中国の土人形


これは、『中国郷土玩具』(中国人民美術出版社+美乃美、1981年)に載っている、1949年前後につくられた、中国の土人形です。家路を急ぐ親子でしょうか。

1980年頃、仕事で中国に行った夫が、これとまったく同じ人形を買って来てくれたことがありました。いったい、夫はどこで手に入れたのでしょう?
そのとき聞いたけど忘れたか、聞いても要領が得なかったか、あるいは聞かなかったのか、今となっては、何も覚えていません。
大切にしていましたが、つくばに住んでいた1988年ごろに、思いもよらなかった大きな地震があり、棚から転げ落ちて粉々に壊れてしまい、泣く泣く捨てました。
「捨てなければよかったかしら」
捨ててからも、そんな思いが浮かんだこともありました。でも、粉々になった土人形は始末に負えません。陶器などより柔らかいので、文字どおり、木端微塵に砕けます。

その人形は、傷みもなく鮮やかでした。
古いものがしまい込まれていて、文化大革命を生き延びたのか、それともその当時もどこかでつくられていたのか、産地がどこなのか、すべてが一切不明です。



ヤフーオークションで、中国の清時代のこの土人形を見つけたときは心躍りました。
以前にも、この時代の土人形を見たことがありましたが、花嫁行列のような人形だったか、人数が多く、その分傷みもあり、値段も高かったと記憶しています。そのときは、手に入れたいとまでは思いませんでした。
でも、これは欲しい。そう思いつつ、自分の決めた上限価格は崩さず、ままよと結果を待たずに寝て、朝起きてみたら、運よく落札することができていました。

戦前の、日本の郷土玩具コレクターのコレクションの一部とのことですが、中には当時にすでに古物として買ったものも含まれていたそうです。


舟には、もともと八人乗っていたようでしたが、一人は失われていました。
 

渡し舟かとも思いましたが、中にはお酒の入った瓢をかついで、幸せそうな顔をした人もいますから、船遊びをしているのかもしれません。


顔の大きさは小豆大ですが、のびやかに表情が描かれています。


米粒に詩やお経を書きつける人たちですから、小豆大に眼鼻を描くなんて、雑作もないことなのでしょう。
 

中国の土人形には、土と針金をうまく組み合わせてあるものがよくありますが、これもその一つです。


帽子の飾りなど細かいものは、針金でつくってあります。
以前持っていた人形とは全く違うものですが、なにかこれで穴埋めできたような、安堵感を味わいました。

『中国郷土玩具』に寄せた李寸松さんの文を読むと、 お正月(春節)には、たくさんのおもちゃの出店が並んで、それはそれはきれいなものだったそうです。
ただ、売るだけでなく、おもちゃを土の上に並べて、遠くに線を引き、ラタンでつくった輪を投げをさせたおもちゃ屋さんもいました。買いものと遊びを兼ねているのです。
子どもたちには大人気で、どうしても大物を狙います。でも、前の方には小さいものしか置いていないし、おもちゃに運よく輪が引っ掛かればそれをもらえたけれど、引っ掛からなかったら何ももらえず、子どもたちはもっとお小遣いをもらいに家に走ったというわけです。
楽しいお正月風景が目に浮かびます。

異国で生き延びてきた土人形を大切にしたいと思います。



2 件のコメント:

いまどき さんのコメント...

よいお人形をお持ちですね。北京辺りの都会的なお人形なので技巧的にもすごいです。文革で伝統的なものはことごとく壊されてしまったようですが地元の愛好家で大切に避難させて生き延びさせたケースもあったようです。ミーハーですが、30年くらい前に著者の李寸松さんにお手紙を書いて紹介していただいて山東省の木地玩具の村と泥人形のお爺さん、年画の工房、を通訳さんをお願いして出かけたのですが、北京の捻り人形はおみやげとして復活していました。でも古いもののように超技巧的な複合的なのは観てません。
むしろ戦前からの収集家の手元の残されていたものにいいものがあるかもしれません。
今戸の箱庭細工にも針金を使った捻りのものがありました。

さんのコメント...

いまどきさん
ありがとうございます。北京近郊でつくられているのですか。もしかしたら復活しているお土産の捻りものとは、過去の記事http://koharu2009.blogspot.jp/2011/12/blog-post.htmlの一番下の人形のようなものでしょうか?
以前、ビー玉ぐらいの大きさの顔をした「流しの蕎麦屋」などの風俗人形を三点ばかり持っていましたが、素足に下駄をはき、顔は歯を見せて笑っているほどのリアルさで、私の好みと少し違ったので、世界の風俗人形の博物館をしている友人の母上に差し上げたことがありました。それも夫のお土産でした。当時夫は国際会議の準備でときどき中国に行っていましたが、みんな人民服を着ていた時代、どこに行くのも監視人がついて来ましたし、夫がことさら人形に関心を持っていたとは思わないので「希望訪問先」を聞かれて、どこもないので苦し紛れに(笑)「人形を売っている店にでもやってくれ」などと言ったのではないかと思います。
今戸の箱庭細工ってどこからきたのでしょう?箱庭って私が小さい頃は夏休みの宿題につくったりもするおなじみのものでしたが、最近は聞きません。でも、中華系の人の町バンコクでは、箱庭に置く小さな人形や家を見かけました。香港でも見かけたような、確かに針金も使っていましたね。箱庭細工の人形はあんまりデフォルメがなさ過ぎて、私にはちょっとです(笑)。