2016年3月31日木曜日

戻ってきたウサギくん

上棟に続く、職人さんたちが来ていた日々、ふと見ると、つくばいの縁に座っていたkuskusさん作のウサギくんの姿が見えなくなっていました。
「中におっこっちゃったんだわ」
まだ、つくばいには氷の張る日もあったころで、落ちたらしいと思っても、深くて冷たい水に手を突っ込んでさがす気にはならなくて、そのままにしていました。

ところが、夫が入院して、普段は夫まかせにしている金魚の餌をやろうとして、ウサギくんがすでに救出されていたことに気がつきました。


といっても、苔に包まれて、まっ黒くろのまま座っていました。


ざっとブラシで苔を落としてから、一晩、漂白剤のお風呂に入ってもらいました。


ウサギくんは、金魚のいる苔むしたお風呂と、漂白剤のお風呂のどっちが好きだったかしら?


ともあれ、すっかりきれいになりました。


そして、元の場所に座りました。
きっと、縁に置いてある竹に押されて落ちたのでしょう。
 

普段は、竹を置いておかなくても心配ないのですが、大雨の時など、屋根に降った水がつくばいにどどっと入ってくると、水が盛大に溢れて、金魚が飛び出す恐れがあるので置いています。
もっとも、小さかった金魚たちはびっくりするほど大きく育ったので、溢れる水に乗っても、外に流れ出す心配はないかもしれません。






2016年3月29日火曜日

更紗のシャツ

衣類の整理はいつも後回しになってしまいます。
今年に入って、やっと重い腰を上げて衣類の整理に取り掛かったのは、夫の入院が決まったのに、パジャマをどこにしまったかわからなくなっていたからです。
普段は、ワンピース型の寝巻を着ていますが、入院ともなるとそうはいきません。冬のパジャマは、一組は見つかりましたが、もう一つは上着だけしか見つかりません。
というわけで、あっちもこっちも探すはめになり、ついでに片づけもしました。

頻繁に開け閉めする引き出しには、ラベルが貼ってあります。それなのに、ラベルを越えて、衣類が移動してしまうのはどうしてでしょう?
もともと使いやすいように分類していなかったからかもしれません。
毎日入れ替わる下着は、数もあります。下着だけでひとまとめにしているとごちゃごちゃになりやすいので、各引き出しの手前の方といった具合に、分散させて入れなおしました。

夫の引き出しは夫が片づけました。
でも、中身を全部ぶちまけて、それから一つずつ入れなおしたのではなくて、迷子を元に戻しただけなので、相変わらずこんがらがっています。それに、片づけているうち面倒になったのか、なにもかも、ただ突っ込んでありました。
確かに、片づけは、そのとき自分の探していたものが見つかるとほっとして、あとはどうでもよくなるものです。

そんな夫の引き出しを、夫のいない間に全部ひっくり返して、入れなおしました。ごっちゃにされていたシャツやTシャツも、長袖と半袖に分けました。
傷んでいるシャツ、息子が置いていった大きすぎるシャツなど、着ないものはどんどん処分しました。自分のものでないと、思いっきりよく処分できます。
そして、取っておくシャツは、いつでも着られるよう、アイロンをかけなおしました。


ほとんどのシャツは、アイロンをかけて仕舞ってありましたが、なにせ長年着ていないものもあり、ぎゅうぎゅう押し込んでしまったものもあり、深い折りじわがついていて、そのままでは着る気になれない状態でした。

夫の古いYシャツは、作業着にしています。
Yシャツは布目が詰んでいるので、おがくずなどが付着しにくく、首や手首まですっぽり覆ってくれるので、ブヨややぶ蚊避けになります。夫だけでなく、私も愛用しています。
犬猫をいつも診ていただいているK先生の近くでは、退職した校長先生が、かつての日常着であったスーツを着て、田んぼで野良仕事をしているそうです。
その話を聞いたとき、姿を思い浮かべて、大笑いしたのですが、夫婦でYシャツを着て作業している私たちも、きっと異様に見えるに違いありません。
なにせ、冠婚葬祭用の白いYシャツを着たりしているのですから。


無地のシャツはさっさと処分できますが、インドネシアのバティクともなるとそうはいきません。
 

どのバティクも布が先にあって、シャツに仕立ててもらったもので、思い入れもあります。


かといって、再利用しようと思って解いたバティクもそこそこたまっているので、何もするあてもなく解く気持ちにもなりません。


まあ、一年に一度でも着てくれたら、よしとしましょうか。


インドネシアと一味違うマレーシアのバティクのシャツは、夫が処分する袋に入れていましたが、また拾ってきました。
半袖なので、私のものにしました。

処分するものは袋に入れておいて、何ヶ月か眺めてから捨てるのですが、こうして帰ってくるものもあるので、やっぱりなかなか片づきません。







2016年3月28日月曜日

サイボーグになりました

夫の、両膝にチタンの人工関節を入れる手術が無事終わりました。
二時間ちょっとの手術で、骨や軟骨を削り取って人工関節を入れたというのに、輸血も必要なかったそうです。

人工関節を入れた足を90度に曲げたレントゲン写真を見せていただいているとき、見慣れた副院長が神さまに見えました。正座は難しいけれど、もっともっと曲がるそうです。
看護師さんが、麻酔が覚めた夫に、
「私の顔が天使に見えるでしょう?」
と言って、笑わせていました。
明るい病院で、助かります。

夫は、明日は一日中安静にしていなくてはなりませんが、明後日にはもう車椅子、今週末には歩行訓練が始まるそうです。
男性は筋肉が強いから、早く立てるようになり、女性は筋肉が柔らかいから、早く膝を楽々曲げられるようになるそうです。

夕方病院に行ってみると、最後の手術を受けた男性が、ちょうど手術室から集中治療室に運ばれてきたところでした。なんと、一日に三人も同じ手術をしたのです。
執刀医の気力と体力に驚いてしまいますが、医学の進歩とそれを受けられたことに、感謝の一日でした。








2016年3月27日日曜日

蕎麦笊


夫も私も麺類好き、お昼にはよくうどん、ひやむぎ、そうめんなど食べます。
数年前までは、うどん、ひやむぎ、たまに蕎麦などは、大きな笊に盛っていました。
ところが、食べ進んで少なくなってくると、
「おれはもういいから、あとは全部食べな」
「もう私はごちそうさましたから食べて」
「いいから、いいから」
「何すんのよ!勝手に私によこさないでよ」
「遠慮するな」
「してないよ。いらないよ」
などという争いが、二回に一回は繰り広げられて、うっとうしくて仕方ありませんでした。

 
そのため、骨董市で見つけためいめい笊を使うようになりました。


骨董市で買ったものですから産地はわかりませんが、すず竹(篠竹)を使っていますから、真竹が育たない寒い地方のものです。
 

ひごもきれいに面を取ってあって、使いやすいしっかりした籠です。

誰がどんなことに使ったかわからない笊に食べものを盛るなんて、考えられない人もいるかと思いますが、私は気にしません。
使い初めには煮沸しましたが、あとは普通に使っています。


片口の笊はしかし、ちょっと小さ目だったので、しばらくして、やはりすず竹の笊を買い足しました。
網代(あじろ)に編んでから立ち上げていく編みはじめの様子から、関東甲信の笊だろうとは思っていましたが、 最近、甲州郡内笊とわかりました。

郡内では、江戸時代のはじめ頃から、米とぎ用の籠や蕎麦笊など、台所で使う日用雑籠がつくられ、ほとんどが江戸、東京に出荷されていたそうです。


左は福島県三島のまたたびの笊、最初に網代に編むところまでは同じですが、立ち上げ方がちょっと違います。


八郷には、お蕎麦屋さんがたくさんあります。
たまにお昼を、どこかのお蕎麦屋さんで食べようと思ったとき、お蕎麦のおいしさ、値段、店の雰囲気とともに、お蕎麦を盛っていた容器も思い浮かべてしまいます。素敵な笊に盛ってあれば文句がないのですが、笊に盛るお店はそう多くありません。

素敵な笊を使っていたのに、別の容器に変えてしまった店もあります。笊はどんなのまめに陽に当てていても古びたり、色が黒ずんだりします。家庭なら、「それも味」と鷹揚に構えていられますが、客商売ではそうもいかないので、皿や箱せいろに竹のすのこを敷いて、すのこが古びたら取り替える方が、ずっと安上がりで楽なのかもしれません。







2016年3月26日土曜日

人工関節に

昨日の筑波山

昨日、両膝に人工関節を入れる手術のため、夫が入院しました。
説明によると、手術の次の日は、痛み止めを送り続けている管や、切開部に血抜きのために通した管を抜いて、術後二日目にはもうリハビリがはじまるそうです。
二日目のリハビリとは、人工関節を入れた膝を、いきなり90度に曲げるもので、最初はとても痛いそうです。でも、それを乗り越えると痛みがなくなり、やがてすいすいと歩けるようになります。

夫は、軟骨がすり減って傷む膝に、長年悩まされていました。とくに疲れると傷みました。
だんだん歩くのが苦痛になり、この一年くらいは散歩もしていません。とくに痛みが激しくなった昨年暮れあたりからは、膝を伸ばしっぱなしなので、筋肉はすっかり落ちているはずです。
手術が決まると、ストレッチで筋肉を鍛えるよう、指導されました。術前の筋肉の鍛え方で、治り方にも時間差が出るのです。

看護師さんのお話では、最速の人はたったの二週間の入院、抜糸するとすぐ退院したそうですが、中には八週間もかかる人もいるそうです。
さて、夫の場合はどのくらいで退院できるでしょうか?

一年のうち二時期だけ、傾いた夕日がまっすぐ丸窓にあたります

夫は、いつもは使っていないノートパソコンとスマホを持ち、たぶん読まないであろうたくさんの本を抱えて入院しました。
届けものをしに行ってみたら、病院の談話室を書斎のようにして、でコンピュータをつないで、なにやら夢中になっていました。

いつもは、自分の持っている自然治癒力をできるだけ信じたい私ですが、こんなときは現代医学の進歩に、ただ感謝するだけです。







2016年3月25日金曜日

不思議な祠


ひたちなかの那珂川に架かる橋の近くに、赤い色を塗った小さな建物が目立ちます。
最初に見たときにはびっくりしました。
「中国の廟(びょう)がどうしてこんなところに?」
中国系の人たちが多く住むところには、よくこんな廟が建っています。
  

でも中を見ると、純和風のお地蔵さまたちがいらっしゃいます。
あの、布袋さまのような、お腹を突き出して大笑いしている、中国の弥勒さまが座っていらっしゃるわけではありません。


蘇東坡が立っているということは誰かのお墓でもあるのでしょうか?
それにしても、形と言い、色と言い、不思議な不思議な建物です。






2016年3月24日木曜日

板壁づくり

作業棟の足場は、夫は、確か四ヶ月借りられるはずだと言います。
「そうだったかしら?」
確認しなくてはと思いながら、一日延ばしにしてきました。

いずれにしろ、作業は高いところからやっていくに越したことはありません。
壁と下屋(下の屋根)の瓦との間に、見切り板を入れ、壁の下地を整え、一部板壁を貼りました。収納場所のあたりはほとんど板壁ですが、高いところはしっくい壁がおもで、板壁はごくわずかです。


壁の下地です。
外から見ると、壁は下屋の上下に分かれていますが、内側から見たら、一枚の壁です。一番右に見える壁だけ外も内側も板壁、その左からは、内側はしっくい壁で、外は下屋の上がしっくい壁、下が板壁になります。
板壁は、大工さんはエアーガンを使って貼りますが、私は母屋建設のときから、極細のねじ釘を使っています。エアーガンも持っていますが、ねじ釘の方が微調整が効くような気がします。


右が極細ねじ釘、左が普通のねじ釘です。
釘の頭も小さいので、特別のビットを使います。


こんな感じで打っていきます。


最初と最後は銅釘を打って留めます。
 

銅釘は、母屋を建てているときに、材木屋さん(正式には材木屋さんの設備部門)からいただいたもので、ドイツから輸入したものだけれど、この先輸入の予定がなく、残っているというものでした。
この釘はぎざぎざがついていて、ちょっとやそっとでは抜けません。 じつに頼もしい釘の反面、失敗して抜きたいときは泣くことになります。


右の、日本の同じくらいの長さの銅釘はこの細さ、比べてみるとドイツ釘の頼もしさがわかります。
これと、もう少し長いのとをいただいて、本当に助かりました。
長いのは、3センチ厚みの床材を貼ったときに使いました。



途中まで壁板を貼ったところです。


最後の板は、内側のさねの山を少し低くして、上端は斜めにしたものを叩き入れて、銅釘で留めました。


今日は雨、屋根があるから雨でも作業できるのに、お休みしています。






2016年3月23日水曜日

おわらいかるた


おもちゃ骨董のさわださんが持っていた、「おわらいかるた」です。
絵がかわいかったから買いましたが、よくよく見たら変なかるたでした。
 

「ゑどのかへるはたいかいをしらず」
えっ、おかしい。
絵を見ると、江戸のカエルには見えません。


「ゐんりょするみはそんをする」
ここで、真相がわかりました。
かつては「え」と「い」の発音の区別のできなかった、茨城以北の人がつくったかるただったのです。


その証拠に、右上から左にと、「いろはにほへと」と並んでいますが、四段目のなかばから、「うゐのおくやまけふこえて」であるべきなところが、「うえのおくやまけふこゐて」 になっています。
わっはっは。
これでは、全国的に展開するのは難しかったことでしょう。だから、売れ残ったのか、印刷した段階で失敗に気づいてボツになったのか、いったいどっちだったのでしょう?

我が家の近くに「瓦会小学校」がありますが、地元の人はほぼみんな、「かわらい」と発音します。本当は「かわらえ」ですが、瓦会と書いてご丁寧に「かわらい」とルビをふっていることもあります。
以前、夫が私に、
「「会」は「い」とも読めるのか?」
と、真顔で訊いたことがありました。

おわらいかるたの、笑わせようとしていないところで笑ってしまいます。


「へんてこれんのわらひがほ」
これは、普通なら「へんてこりん」でしょう?頭がこんがらがります。
それに、題名は「おわらいかるた」と現代仮名遣いなのに、「わらひがほ」と、統一しないで使っています。


「まつみになるな」
?????
「人を待たせるな」という教訓なら、「まつみになれ」ですが、「まつみになるな」ということは、「待つ人」になってはいけない、「待たせる人」になれということでしょうか? 


「あたったたからくじ十まんえん」
こんな夢のような話が、どうしておわらい?
最初っからあたらないと決めているから、おわらいなのでしょうか。
  

おもしろい、おもしろい、「おわらえかるた」でした。
笑ったので、寿命が一日ばかり延びました。






2016年3月22日火曜日

おもちゃな骨董市


骨董市で、まことさんの店に並んでいた、色絵人形です。
かわいいのなんのって、普通の色絵人形より、サイズが小さいものがほとんどです。
「かわいいなぁ」
「これ集めるのに、35年かかったんだって」
「ふうん」
コレクターさんに買い取りを頼まれたので、わりと高く買ったものだそうです。
もし私が集めた人だったら、ばらばらにしないでまとめて買う人に売りたいと思うに決まっていますが、買う人だったら.....?
一つ一つばらばらに買いたいものです。


「選んでもダメだよ。まとめてしか売らないから」
と言われたって、選んで掌に載せてみます。
「だって、全部だと高いでしょうよ」
「高いよ。これ、一つ1000円としても五万円でしょう。まとめて買ってくれたら、ケースもつけるけれど」
ケースをつけてくれたって、無理です。目だけを堪能させてもらいました。
それにしても、最前列のわんこ、にゃんこたちにちびだるま、なんてかわいいんでしょう!そして、そのうしろの間抜け顔の犬も!後ろの方の犬張り子犬は、すごい顔をしています。

今は色絵人形も千円札数枚で買えますが、昔はもっと高額でした。
いったい、集めた方はいくらつぎ込んだのでしょう?そしてまことさんはいくらで売るつもりでしょう?買えないので、たずねませんでしたが。


名前は知らないけれど、器や古民具を商っている、ずっと前から顔見知りの骨董屋さんがいます。
その店に古い紙の箱が置いてあって、珍しいセルロイドの市松人形が三体入っていました。市松さんは、女の子二人、男の子一人で、みんな着物姿です。
その人形の陰に、ドングリのはかまが見えたので、手に取ってみたら二宮金次郎でした。
 

小さいのに髷を結ってあり、背負子で柴を運んでいます。
値段をたずねてみました。
 

「.....たくさんもらうわけにはいかないしなぁ。200円!」
売り物ではなくて、たまたま、セルロイドの市松さんの箱の中に紛れ込んでいたもののようでした。
ラッキー!
それにしても、いづめこ人形などと違って、二宮金次郎にどんぐりのはかまを使う必然性が感じられませんが、足をつくらなくていい、立ち易いということだったのでしょうか。

 
おもちゃ骨董のさわださんの店に行くと、人だかりで肩越しにしかのぞけないほどだったので、一度目はパスして、二度目に行くと、お客さんが少し減っていました。
時間はまだ、朝の7時ごろです。
「頼まれていたガラスのさいころ、持ってきたよ」
と、さわださん。
あれっ、私が欲しかったのは、ガラスの独楽で、さいころにもなっているものだったのですが、よく伝わってなかったみたいでした。


そのさわださんの、100円均一の箱の中に、メキシコの、ヤシの葉でできたパイナップル収穫の人形がありました。
三分の一ほどの大きさの、でもそっくりの人形を持っていましたが、引っ越しでなくしています。同じ地域でつくられたものです。


これは高さが13センチあり、大きすぎますが手が込んでいて、草細工の資料としてはなかなかのものです。


「自分でつくってみて」
と言われたら、いったいどのくらい時間がかかることでしょう。
 

「これもどう?」
「いらない」
「同じ感じでしょう?」
「どこがぁ」
さわださんが手に取って見せてくれたのは、やはり100円均一の箱の中にあった、針金にイグサをぐるぐる巻きつけてつくったバッタです。
「まぁ、くれるなら、もらってもいいけど」
「あげるよ」


変なバッタには、まん丸でかわいいハトメがついたラベルが残っていました。字は小さくて読めませんでしたが、やはりどこかよその国のもののようです。


いまはいないがんこさんのおやじさん(師匠)の店には、小さな招き猫が二つ並んでいました。
射的の的だったものでしょうか?


というわけで、なんとも、おもちゃな、おもちゃな骨董市でした。