2016年5月31日火曜日

動物のいる世界


丸い顔、プラトーク(スカーフ)を巻いて、サラファンを着ている(たぶん)、マトリョーシカの約束事に沿ったマトリョーシカですが、だるま型の身体には、衣装をまとっているというより、野原が出現しているといった方がぴったりします。
アンナ・リャボヴァさんのマトリョーシカです。
 

楽しく踊っている動物たちの背景は空の色。
限りなく奥行きが感じられます。


背中側には、野山が連なっています。


二匹で踊っているのは、狐と狼?あるいは狐と狸?
しっぽの太い面々が、めぐってきた春を謳歌しています。


蝶と踊る豚には、娘がそっと手を添えています。
「あれっ、豚は家畜じゃない?」
まぁ、そんなことは気にしなくてもいいのです。


栗鼠と蛙。


栗鼠の見事な尻尾が、自慢げです。


そして蝶。


プラトークの花模様も素敵です。
ロシア工芸の伝統的な花の描き方でしょうか?







2016年5月30日月曜日

懐かしいのか?懐かしくないのか?


ブログ「あんてぃかーゆ便り」で、紹介されていた、『古き良きアンティーク文房具の世界』(たいみち著、誠文堂、2016年』を、買ってみました。
大正、昭和初期のものが中心と思われる、ビンテージの文房具が、定番の文房具、学童用品、紙もの、事務用品、昔の広告・カタログなどに分けて紹介してあり、巻末に文房具に関する情報が記載されています。

以前、著者のたいみちさんのブログを覗いたことがありましたが、一つのテーマを決めて、ぶれずに網羅的に集める人は男性だろうと勝手に決めていたので、たいみちさんが女性で、ちょっとびっくりしました。

「懐かしいものが見つかるかしら?」
と思って開いてみましたが、この本に載っている文房具は、私の子ども時代のものより古いものがほとんどなのか、約600点も収録してあるというのに、見覚えのあるものはほとんどありませんでした。

そして、この本を見て改めて気がついたのは、私は子ども時代に、ほとんど何も持っていなかったということでした。
 

こんなにカラフルなセルロイドの鉛筆キャップなど、あることさえ知りませんでした。

子ども時代に持っていた文房具と言えば、この本に載っているものとはメーカーが違いますが、鉛筆、消しゴム、下敷き、クレヨン、ノート、ボンナイフなどの学童用品だけ、糊さえ持っていなかったので、改めてもののない時代に育ったんだなぁと思いました。
もっとも、その時代でも、あるところにはあったのでしょう。


小学生の時に使っていたコンパスは、左上のものが一番近いでしょうか?
やっと、見覚えのある文房具にも出逢ったという感じです。

クレヨン・クレパスは、この本には載っていませんが、小学校低学年のときにサクラクレパス、ぺんてるくれよんが発売されて、それまでの、ロウに色を混ぜたような、あぶらっぽくて紙に色が定着しないクレヨンから、やっと解放されました。
新しい箱入りのクレヨン・クレパスを買ってもらうことはめったになくて、よく使う色を単色買いして、補充したものでした。

その当時、私が文房具を買う場所は、駄菓子から荒物まで置いている「何でも屋」と、学校の「購買部」の二ヵ所しかなくて、どちらも貧弱な品揃えでしたから、おしゃれな文房具など、目にする機会すらありませんでした。
中学の入学祝には、叔母から万年筆をもらいましたが、それで初めて自分の万年筆を手にする、そんな時代でした。






2016年5月29日日曜日

いまごろ、桜花

ビールの缶に貼ってあるシールを集めて送ると、もれなくプレゼント進呈という、ビール会社の春のキャンペーンがありました。
ずいぶん前に送っておいたら、忘れたころにプレゼントが送られてきました。


ビール二本と、泡花タンブラーのセットです。
 

タンブラーの中側は、桜の花びらの形になっています。
正直、色といい、形といい、
「ビール三本の方が嬉しいよなぁ」
と思ってしまうタンブラーでした。


でも、せっかくだから、使ってみました。
泡の花がなかなかきれいです。


ちょっと飲んでも、桜の形を保っています。


中に、桜の絵があって、これが隠れるまでビールを注ぐと、一番きれいな形で桜を見ることができるようですが、多くても少なくても楽しめます。
さて、しばらくは遅い桜を楽しんでみることにします。






2016年5月28日土曜日

やさとの椅子展


日曜日まで、五月恒例のやさとの椅子展が、こんこんギャラリーで開かれています。
手前に見えるのは、子ども用の椅子です。


この写真は、やさとの椅子展のフェイスブックから借用しました。
ひろの三兄弟のおにいちゃんたちのかわいいこと、二人掛けの椅子にぴったりです。
一人掛け、二人掛けだけでなく三人掛けの椅子もあるそうですが、生まれたばかりの赤ちゃんが並んで座れるようになるころには、おにいちゃんたちは大きくなりすぎているかもしれません。


おだじまさんの椅子は、古いスコップとレーキを利用したもの、スコップの柄が、いい味を出していました。


「ブランコに乗る?」
と訊かれて、乗せてもらったのは、ギャラリーの裏につくったブランコでした。
崖っぷちに生えた木に綱を掛けてあり、それにパラグライダー用のシートを装着して乗ります。
背中を押してもらって、深く落ちた谷に漕ぎ出したときは、スリル満点でした。








2016年5月27日金曜日

収納、一丁上がり!


作業棟に、大工道具や農機具をしまう場所を、六、七ヵ所つくります。いずれも、形としてはコの字形になっています。

いつでもできる作業なので、急ぐ左官仕事や草刈りの合間合間の気分転換にやっていますが、その一つができあがりました。
あえて棚をつくらず、壁をそのまま利用しました。

正面の大きい面には定規、ものさし類と、クランプ、播金(はたがね)類をしまいます。
といっても、播金が見えないのは、探したけれど姿が見えなかったからです。大きいものですから、失せるはずがないのですが。
もちろん、見つかったらしまうスペースはとってあります。


右には、水平器類を入れています。


そして左には、ミシン油や錆び取りオイル、シリコーンなど、機械の維持に使うものや、ペンチなどを収めました。


ペンチは、もっともっとあるはずです。
これまで引き出しに入れていましたが、使った後しまわなかったり、なくしても気づかなかったりしました。
これで使いやすくなったと同時に、しまいやすくもなりました。

 
クランプ類はひっかけてあるだけです。


重くて大きいクランプは、地震で落ちたりしないように、タオル掛けを利用して、安全装置をつけました。
一旦上にあげないと取れないのでちょっと面倒ですが、落ちてきたクランプで怪我をするよりましです。


定規や水平器など、長いものを上の方にしまっているので、取り出すのに脚立はいりませんが、長いものだけで上の方を埋めるわけにもいきませんでした。
というわけで、踏み台が必要な高いところには、使う頻度の少ないものをしまいました。

この仕事は、なんとなく、昔したままごとを思い出させてくれます。
何でもないところに棚をつくった嬉しさ、木切れを利用して、包丁差しができたときの歓び。それと似ている気がして仕方ありません。
仕事をしているというより、丸々遊んでいる感じですが、大きく見れば家づくりそのものも、丸々遊んでいるのかもしれません。


さて、夫は数日前から作業に復帰しました。
私の到底できない電気工事にいそしんでいます。これは、ホールのてっぺんの方につけるものです。








2016年5月26日木曜日

生け垣


生け垣は好きだけれど、手入れが行き届くとそれに応えてくれるかわりに、放っておくと、すさまじい姿になって、目も当てられません。

ベニカナメのように成長の早い木は伸び放題で、半ばお手上げ状態ですが、ドウダンツツジのように比較的成長の遅い木は、こちらのペースに合わせてくれるかのよう、とっても助かります。
と言っても、あまり放りっぱなしにしておくと、枝が太くなって、ヘッジトリマーも使えなくなるので、一年に一度くらいは刈ってやらなくてはなりません。


ヘッジトリマーです。
両手で二ヵ所を抑えないと動かない仕組みで、左手はいつも同じハンドルをつかみますが、右手は、立てたり寝かしたりするのに合わせて、三ヵ所のハンドル・スイッチを選べます。

さて、ヘッジトリマーは、剪定ばさみよりずっと楽でしょうか?
ちょっとだけ楽ですが、格段に楽というわけでもありません。
剪定ばさみのように、小刻みに動かさないでいいのですが、トリマー自身がかなり重いので、どっちもどっちだし、仕上げには、やっぱりはさみも使います。


ちょっとだけ、きれいになりました。


もっとも、写真に写っていない下の方、ちょっとだけ刈り残しがあります。
「明日やろう」
と思っていると、たいてい、来年になってしまいます。





2016年5月25日水曜日

はなちゃんの絵

フェイスブックを見ていたら、息子が投稿した、孫のはなちゃんの絵を見つけました。


救急車です。
夫の入院でバタバタしている間に、はなちゃんは一年生になりました。
フェイスブックの息子の投稿に、「いいね」をしておいたら、息子から電話がかかってきました。
「見てくれたんだね」
「見たよ。よく描けているねぇ」
「そうだろう。見せたいと思って、もう何日も前にUPしたんだけど」
「ごめんね。あんまりフェイスブックを見てなくって」

救急車を後ろから描くなんて、なかなか斬新じゃないですか。





2016年5月24日火曜日

母の銅板


展示室のほこりを払っていたら、四角いアタの籠に銅板を切って叩いたものが入っていました。
その昔、母が七宝焼きのブローチなどをつくっていましたが、その下ごしらえをしたままで、もうつくらないからと、私によこしたもので、棚のあたりに、とりあえずと思って、ばらばらさせていたものでした。
母は、妹との同居を決めて身辺整理をしたときに、要らないものの始末を全部私に託しました。その中には、箪笥やお雛さまもあれば、母のアルバム、父と母の間にかわされた書簡、何十年分の家計簿などに交じって、誰だかわからない、古いご先祖さまのお位牌などもありました。

母は、細い線で草花を描いたような七宝を焼いていて、私もいくつもブローチをもらったのですが、親不孝にも全部失せてしまっています。


わずかに、ブロンズの鉢に貼ったものだけが残っています。
と、思い出にふけっていたら、
「おいおい、この籠は、メキシコの台所道具のミニチュアが入っていた籠じゃないか。誰だ?銅板を突っ込んだのは」



銅板を取り除いてみたら、埋もれていた台所道具がでてきました。


棚をつくったりして、きれいにアレンジして額にしようとしていたのですが、なかなか手がつきません。
ここはひとまず、籠を母の銅板に譲っておいて、台所道具を避難させることにしました。


すぐ近くに、夫の母が遺した籠があったので、それに入れておきました。
しかし、銅板をこのまま残しておいてどうするのか、台所道具を籠に入れておいてどうするのか、ただ、解決を先送りしただけのような気がします。






2016年5月23日月曜日

ままごとのお茶道具



お茶道具は、お茶の時間のお仲間ですから、食器とはちょっと違う、浮き浮きするところがあります。
これはたぶん、日本で輸出用につくられたままごとのお茶のセット、柳のある景色の模様が、オリエンタルな雰囲気を出しています。


カップ&ソーサー六組、ケーキ皿六枚、シュガーポットとミルクポットが欠けずにそろっています。
小さめの本当のポットを使えば、実際に飲み物を入れて、お茶の時間が楽しめそうな大きさです。


フランスのままごとのカップ、フランスらしい端正さです。


かすかですが、横線が見えるので、プレスではなく、絞り加工でつくられたものです。
素材は何でしょう?
わりあい重いものでできています。

 
フィンランドのアラビア社のマグカップは、クリスマスオーナメントとしてつくられているものです。


赤と白のイッタラのマグカップは定番、ムーミン柄のは、クリスマス時につくっているもののようです。
これは、実際に使うムーミンのマグカップを買ったら、おまけについてきたものです。


ボリビアのままごと道具の中の、コーヒーセットです。
お盆に乗っているカップのようなものには、底に穴が開いていて、


コーヒーポットの上に乗せて使います。
このくらい小くなると、実際に液体を入れて使うのは難しくなりますが、ままごと遊びには、十分使える大きさです。


夫の母が遺したお茶道具です。
写真に撮ると、轆轤も塗りも雑に見えますが、なにせ小さいもの、湯呑は小指の先ほどもないものですから、木がささくれ立っていても仕方がないものです。


こんなに小さいのに、茶筒の蓋も、急須の蓋も取ることができます。


そして、焼きものの菓子皿には模様が描いてあり、お盆は寄木細工になっています。


これも夫の母が遺したもの、取っ手が折れもせず、よくつくれたものと感心してしまいます。


この小ささになると、もはや子どもがままごとをして遊ぶというものではなく、飾って楽しむミニチュアです。


枕草子ではありませんが、
「なにもなにも、小さきものは、皆うつくし(かわいい)」
と、ついつい愛でてしまいます。


棚の最上段に置いてあるのがままごと(オーナメント)のカップ、そして最下段が実際のカップです。