2016年10月30日日曜日

松右衛門帆


夫の鞄持ち(というより、ただの付録)で、神戸、さらに脚を伸ばして鳥取県の岩美に行ってきました。


旅の目的は、夫が神戸芸術工科大学で、大学院生を相手にお話しさせていただくことでした。


そして、夫の働きにかかわらず、私がお土産をいただいてしまいました。
これは、「松右衛門帆」という布を復元した布でできたバッグとポーチです。
 

播磨の国(兵庫県)の高砂で船乗りとして生まれた工楽松右衛門(くらくまつえもん、1743-1812年)は、廻船業を経営するかたわら、帆布を改良し、築港工事法を考案して択捉島(えとろふとう)の埠頭や箱館のドックを築造した、実業家であり、発明家でもあった人です。
それまでの帆布はとても破れやすいものでした。そこで、松右衛門は改善できないものかと播州木綿で極太の糸をつくり、その糸で織った、厚手で大幅の帆布を発明しました。
この「松右衛門帆」は、やがて全国に広がり、江戸時代の海運業の発展を大いに支えました。

いただいたバッグとポーチは、その松右衛門帆を再現した布でつくられています。
 

2010年、神戸芸術工科大学の野口教授は、NPO、高砂物産協会から、消えてしまった松右衛門帆の復元と、それを使っての商品開発の依頼を受けました。野口教授らは、神戸大学海事博物館所蔵の松右衛門帆をもとに、糸の太さや織りの組織の分析をしました。

そして、経糸(たていと)に7番手の木綿糸2本による双糸と、その双糸を3本撚り合わせた極太の撚糸を使い、当時のままの2尺5寸(約75センチ)幅の帆布を、力織機を使って再現しました。
力織機は、機械ですが木製の杼を使って織るもので、播州織の産地でも今では極めて少なくなっているそうです。もちろん、江戸時代には、松右衛門帆は手で織られていました。

商品開発としては、当時の風合いを再現した温かみのある生成りの糸と、高砂の砂浜の白、海岸線の松並木の緑、穏やかな海と空の青、播磨灘に沈む夕日の赤、夜間航海の黒などに染めた糸を組み合わせて、革をあしらい、バッグなどをつくっているそうです。


ロゴマークも裏地も素敵です。
裏地は、紋織り(ジャガード織り)にして、ロゴマークを織り出した白い布や、黒い木綿布を使っています。


そして、どうやらこれは神戸芸術工科大学のオリジナルのバッグのようです。

そういえば、これまで江戸時代の帆船にしろ、それ以前の帆船にしろ、船そのものの材料に思いを馳せたことはあったけれど、どんな帆布が使われたかは、考えたことがありませんでした。
松右衛門帆は、それまでの布に比べると長持ちし、画期的なものだったに違いありません。


ちなみにこれは、青森市で復元された北前船です。
帆には、やはり松右衛門帆が使われていたのでしょうか。



 


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