2016年12月11日日曜日

高等國語讀本


ヤフーオークションで漁網の錘(おもり)を落札しました。
競う人もなく、英世さんに届かない開始価格で入手して、届いてみたら、古い印刷物に包んでありました。


和綴じだった、「高等國語讀本」の一部です。


六枚しかないのが残念!
おもしろくて、錘そっちのけで、読みふけってしまいました。


とくに地球の温度について記述していたところが楽しめました。
当時、船旅しかなかったので、日本からヨーロッパに行くには、南シナ海を通り、インド洋を通らなくなりませんでした。
そのインド洋の暑さは、
「サナガラ焙爐(手あぶりの火鉢のようなものか?)ノ上ニテ炙ラレ、蒸籠ノ中ニテ蒸サル、カト思フバカリナリ」
と書かれています。
熱風とはいえ、船上だと風も吹いていて、そう暑くもないと思いますが、服装が服装でしたから、暑く感じられたのでしょう。
 

また、アフリカに関しては、
「是(インド洋)ヨリ正西ニ當レル阿非利加(阿弗利加の間違い?)モ、亦同ジク中央ノ位置ニ在リテ、暑熱殊ニ甚ダシ」
とありました。
アフリカにも、季節によっては寒いところがたくさんあります。
自慢するわけではありませんが、バンコクなどに比べても寒暖の差が少ない(寒がない)プノンペンでの三年間、エアコンのない部屋で快適に過ごした私としては、めったに「灼熱の暑さ」を嫌がったことがありません。

高等國語讀本は、明治から昭和まで使われました。






2 件のコメント:

karat さんのコメント...

当時の紙のままですか?すごいですね。変色もしてなくて…。その周りの新聞紙は今のですよね?
昔の人は寒さに強かったと聞いたことがあります。江戸時代とか耐寒温度が今より10℃くらい低かったとか…。裸足に粗末な下駄をはいて雪がちらつく中を歩いているという時代劇のシーンは、オー寒そうと思いますが、今より平気だったのでしょうか?まあ映画ですから(^^;)なんとも分かりませんが。 
 私が子供時代にも、この同じ世田谷でストーブはなくて、冬は火鉢とこたつだけでした。そのうち石油ストーブが登場してありがたかったですが、小中学校も確か気温が15℃(10℃だったかな?)以下にならないとストーブ焚いてくれなかったと覚えています。朝登校してから何かストーブを焚く焚かないの札を見てがっかりしたり喜んだり…。
西宮にいたときは大体中学校にストーブはなかったし…休み時間は日なたにかたまっていました。
その分暑さには弱かったかもしれないですね。今より確実に夏の気温は低かったのに、暑い暑いと騒いでいました。
その旅行者の方も、暑さの言い方が大げさで面白いです。

さんのコメント...

karatさん
骨董屋さんがどこかの蔵のものをさらったときに、『高等國語讀本』が出てきて、そう古いものじゃないし、和綴じを解いて、包み紙代わりにしているのでしょう。
高等小学校は1944年に国民学校になって消滅したらしいのですが、尋常小学校の『國語讀本』と違って、明治からあんまり改訂されなかったようで、貴重じゃないのかもしれません。
昔は私も火鉢とこたつだけで耐えていました。でも、しもやけをつくっていました。
ところが、二十代前半にガーナで過ごしたらあっという間に熱帯仕様の身体になってしまって(笑)、働いていた時は、冬の熱帯出張が最大の楽しみでした(^^♪
昔、テレビの「お江戸でござる」が大好きで見ていて、杉浦日向子も好きなのですが、彼女の本を読むと、確かに江戸時代の人は信じられないほど寒さに強かったようですね。隙間風の家に住んで、手あぶりがあればいい方、農民なんて麻を着て、布団もなく寝ています。では高貴な人はどうかと言ったら、冬の京都御所の底冷えのすること、私はこんなところに住まなくてよかったと、行くたびに思っていました。
でも、日本家屋は夏涼しいのが基本、茅葺の家はこのあたりにはまだたくさんありますが、温かい空気が煙抜きから逃げて行って寒い!私には住めません。
熱帯の田舎で、暑い季節(熱帯にもhot、hotter、hottestといろいろある)に、自分の汗の匂いが臭く感じられるほどの一日を過ごし、頭がぼーっとしている状態で、水浴びしたときに感じる幸せ感が大好きです。「あー極楽、極楽、生き返った」と思っていました(笑)。