2017年5月31日水曜日

いただきものの布


布の管理が難しい、分類しきれていないというのに、増えています。


パジャマ地を買って、完成したものの写真を送ったら、いただいちゃいました。シーチングの5枚セット。
だからといって、このままでは使い道がありません。


こちらは、ベルリン在住の日本人の方がやっているショップからおまけにいただいた、ビンテージの布です。
何のおまけだったかなぁと記憶の紐をたどったら、マトリョーシカ、ヨシュカル・オラのおまけでした。
ドイツ(たぶん旧東ドイツ)の布の傾向はまったくわからないのですが、オレンジや緑の使い方から、1970年代の布が多いのかもしれません。
 

それにしても、このほんわかさ。裏と思って、思わず裏返して見てしまったほどのかすかな色ですが、子ども向けとのパジャマなどにしたら、かわいいことでしょう。

余談ですが、この店Frau Vintageは、送料込みの値段を提示しています。
どちらかと言えばビンテージ布の専門店ですから、そう利用することはありませんが、 ヨーロッパから送料なしということで、敷居はぐっと低くなります。
 

こちらは、コップについてきた布です。
決して高いコップを買ったわけじゃないのに、こんな布に包まれてくると、嬉しくなります。


広げてみると、小さめの風呂敷、大きめのハンカチほどの大きさに切ってありました。
布目もきれいに通っていたので、縁をかがってみました。

さてさて、どうしましょう。
白い布はちょっと薄手だけれど、あとは全部しっかりしています。少しずつ残る寝間着の端布とつないで、夫の寝間着でもつくるかなぁ。
もっとも、パッチワークの寝間着って、縫い目が多すぎて、寝心地が悪いと思います。







2017年5月30日火曜日

布の整理は難しい

布をさがそうと、いろいろ引き出しを開けてみたのに、出てきませんでした。
「いったい、どこへ仕舞ってしまったのか?」


目指す布は出てきませんでしたが、存在を忘れかけていた、手紡ぎ、手織りの白い布が、あちこちから出てきました。
タイの山岳に住む人たちの織った木綿布です。


手紡ぎ、手織りの布は、糸が太いものや細いものがあり、夏のブラウスに仕立てると、最高に涼しいのです。
小さな、半そでのブラウスに仕立てておけば、旅に持っていくにはTシャツより軽く涼しく、洗いやすくてアイロンも要らない、というわけで何枚も仕立てて着ていましたが、まだ布がこんなに残っていたのです。


これは麻(大麻)で、やはり、山岳民族、たぶんモン人の布です。
日本の反物のような、幅が狭くて長いものからパンツを仕立てたあとが、少だけ残っています。
木綿は伸びやすく、パンツに仕立てると、どうしてもお尻と膝がポッコリ出たまま、戻らなくなります。その点、麻は伸びないで、いつまでもきれいな形を保ってくれる、嬉しい素材です。


絹もあります。
タイでは、絹は蚕を育てるところから、糸を繰って織るまで、一人の人がつくります。高機で織っているので、幅は80から90センチあります。


絹も、麻同様繊維が伸びないので、ぴったりとしたブラウスなどがつくれます。
カンボジアの正装は、上下とも絹の絣で仕立てるものですが、私はブラウスは白い方が好きで、袖が長いのや短いのを、町の仕立て屋さんで仕立ててもらっていました。


さて、ちょうど使い切ればよかったのに、ブラウスを仕立てるからとか、手紡ぎ手織りの布が消えてしまうのが寂しいからと、見つけると買い足していたのが、タンスの中にたまっていたのでした。
また、何かつくった方がいいかもしれません。


大きな、バングラデシュの刺し子の布も、引き出しの中で場所を取っていました。
上着をつくろうと思っていたのに、とうとうつくらなかった布です。


ベッドカバーの大きさですから、テーブルクロスとして使えますが、この化学染料の赤は、ちょっと我が家に合わないかもしれません。
力作なのになぁ。

中国の刺繍布。服にワッペンのようにつけようと思っていたのにとうとう使わなかった

今度雨が降ったら、タンスの中のものを、全部引っ張り出して、せめて、似たものは似たものどうし集めて、整理しなおした方がよさそうです。

そうすれば、探していた布が出てくるかしら?
夏のワンピースをつくりたいのだけれど。







2017年5月29日月曜日

最近読んだ本

2005年だったか、それまで読んでいたA新聞をやめて、東京新聞にしました。
夫の家にも、私の家にも、生れ落ちて気がついたらA新聞がありました。そんな長いつき合いでしたが、やめてほっとしました。広告に、記事に、イライラすることがなくなったのです。

東京新聞は、中東の報道など(最近は少ない)、その正確さに満足していましたが、原発事故以来、さらに腰を据え、報道者としての任務を全うしようとしているように見えます。ところが、こと本の紹介に関しては、まったくおもしろみがありません。
本紹介の定期的な記事も各種あるのですが、書評を読んでみても、興味をそそられません。そして、新聞全体に広告が少ないのは歓迎ですが、本の広告も少ないのです。

というわけで、本を知る機会が狭められてしまっているなか、北海道に住むのらさんから定期的に届く「のらつうしん」の中に、ときおり紹介されている本は、いろいろ参考になります。
化石、植物、鳥などに詳しいのらさんのことですから、本は自然科学関係のものや、北海道に関するものも多いのですが、それだけではなく、小説、児童書から絵本まで多岐にわたっています。


そんな、のらさんが紹介していた本たち、『アイヌと縄文』(瀬川拓郎著、ちくま新書、2016年)です。
その昔、考古学者というものは、どこまでいっても「推測」の域を出ないから、歯がゆいだろうなと思っていたのですが、今ではいろいろな科学的な調査、例えば花粉の分析などから、「いつの時代」の、「なに」かを「断定」されることが多くなっています。
そんな、各分野での研究成果を突き合わせ、つなぎ合わせると、いろいろなことが見えてくる、その最新の現場をのぞくという感じの本です。


『見習い物語』(レオン・ガーフィールド著、斉藤健一訳、岩波少年文庫、2002年、原作は1982年)は、イギリスの18世紀の徒弟制度の中で、見習いとして働く少年少女たちのことを描いています。
当時、イギリスでは、どんな見習いでも、期間は7年と決まっていました。子どもを見習いに出す親は、それぞれの職業で決められた金額を親方に払い、親方は食事と住まい、そして仕事の知恵を見習いに与えました。
この本には、12の違う職業の見習いたちが出てきます。それが、全く別の話ではなく、一つの話に出てきた人が別の話にも出てきたりして、ロンドンの町全体が立体的に見えてくるように書かれています。
衛生状態が悪く、空気も悪く、貧困やいじめが満ち満ちている世界で、たくましく、ささやかに生きる見習いたち、そして親方たちが描かれています。


のらさんが、初めて『ハイジ』(ヨハンナ・スピリ著、竹山道雄訳、岩波少年文庫、1952年、原作は1946年、あれ、これは英語訳の年かな?)を読んだというので、読み返してみました。
今回読み返してみて、こんなにキリスト教色の強い本だったかと、改めて思いましたが、楽しみました。


これものらさん紹介だったと「のらつうしん」をひっくり返してみましたが、見つからなかったので、もしかしたら違ったかもしれません。

『太陽と月の大地』(コンチャ・ロペス=バエス著、宇野和美訳、福音館、2017年、原作は1984年)は、スペインにおけるキリスト教徒によるイスラム教徒の排斥に翻弄される人々を描いています。
1492年に、イスラム王国だったグラナダはカトリック王に制圧されますが、その後の数年は、それぞれの信仰を持ちながら、同じ土地に平和に共存します。
しかし、キリスト教徒は権力に乗じて強引で無理解な態度をとるようになり、恨みを募らせたイスラム教徒は1500年に反乱を起こして敗北します。以来、イスラム教徒は改宗するか、国外に退去するかの選択を迫られました。
すぐにアフリカに逃れた人もいましたが、故郷を去りがたい人は、改宗してとどまり、改宗したイスラム教徒は「モリスコ」と呼ばれました。
それから百年余り、1611年にイスラム教徒が完全に国外に追放されるまで、友情と怨恨、裏切りと忠誠が入り乱れた苦難の時代が続きます。
そんな時代を背景に、16世紀後半の、キリスト教徒とモリスコの二家族の物語です。
最後は、涙なしには読めませんでした。

キリスト教を太陽に、イスラム教を月に例えていますが、イスラム教は月でいいとして、キリスト教が太陽というのは、私にはしっくりきません。むしろ、星ではないでしょうか。
太陽と言えば、キリスト教に駆逐されてしまった、数々の多神教やなど、もっと土着のものを思い浮かべてしまいます。






2017年5月28日日曜日

作業のお供

大工仕事をするのに、以前はいつも、腰に釘袋をぶら下げていました。釘袋と言っても、ねじ釘や釘だけを入れるのではなく、よく使う道具類をいろいろ入れます。
でも、釘袋が重くなると、腰に負担がかかります。また、電動カンナやテーブルソーを使うと、釘袋の中がおがくずなどの埃でいっぱいになります。


そこで、Kさんから、自作の手つき籠をいただいてから、必需品をこの籠に入れて持ち歩いています。


作業によっては、ほかのものも入れますが、常時中に入っているものです。


カメラ、ラジオ、計算機です。
計算機は、例えば本棚など、決まった長さを均等に割って、それぞれの長さを出したりするときに必要になります。


小さな指金とコンベックスルール、そして鉛筆と消しゴムです。
カッターナイフは、材木の束ねてある紐を切ったり、鉛筆を削ったりするのに使います。


もちろん、作業の時には、インパクトドライバー、玄能、ねじ釘、ドリルなどいろいろ使うのですが、それらは、決めた収納場所に戻しながら使っています。
ところが、この籠に入っているような頻繁に使うものは、いつも手元に置いておきたいのです。
長いのは、インパクトドライバーのビット、普通の長さのビットでは使えないような場所で使います。ライターは焚火をするとき使い、彫刻刀の丸刀は、案外出番が多いのです。
そして、木っ端を斜めに切ってつくった楔(くさび)は、丸鋸の安全カバーを外すときに使います。丸鋸は、いつもは安全カバーをつけた状態で使いますが、材を斜めに切りたいときなど、安全カバーが邪魔になるときがあります。
そんなとき、この楔を挟んで、安全カバーを外したままで使うのです。







2017年5月27日土曜日

お弁当を持って

先日、八郷に住むHさんの家での、「縁側でお茶会、電気代600円の5アンペア生活」という集まりがありました。
Hさんはフリーライター、昨年まで東京で暮らしていましたが、震災後の2013年から、思い立って5アンペア生活を始めた方です。やがて、都会生活を切り上げて農村で暮らしたいと思うようになり、昨秋に八郷に引っ越ししてきました。空き家を借りて、今年の三月に越してきたTさんと、家をシェアして暮らしています。

集まったのは30人ほど、八郷やその近郊に住む人たちで、陶器をつくっている人、有機農家、福島から避難された方などなど、幼児連れの若いお母さんたちもたくさんいました。みんなの関心は、
「5アンペアで、どう暮らせるの?」
ということでした。

Hさんのお話では、5アンペアでも、冷蔵庫も洗濯機も使えます。しかも、いまどきの冷蔵庫は、大型ほど省エネにできているそうです。
使えないのは、電子レンジやトースター、それに普通の掃除機やヘアドライヤー、アイロンなどです。
電子レンジやトースター、そして炊飯器は、蒸し器、焼き網、土鍋などで代用できる、というか、そちらの方がもともと使われていたものなので、それを活用すれば、問題ありません。
また、掃除機は充電型のものなら使えて、ドライヤーやアイロンは、中に使える機種があるとのこと、使っているものを見せていただきました。

我が家も含めて、参加者の多くは30アンペアの契約でした。
話を聞いた参加者は口々に、
「いきなり5アンペア契約にするのが無理でも、今の契約アンペアから10アンペア落としてみようと思います」
と、感想を述べていました。
Hさんの話では、日本中の家庭が10アンペアずつ落とせば、それだけで原発5基くらいはいらなくなるという計算でした。

さて、集まりは、お弁当持参だったので、久しぶりにお弁当をつくりました。
 

最初、昔使っていためんぱと曲げわっぱのお弁当箱を出してみましたが、曲げわっぱはちょっと小さすぎるかしらと思い返して、スウェーデンの弁当箱のスウェープアスクを使いました。
 

しっかり食べるなぁ。


みんなカップとお箸も持参、これなら集会をしても、開催する方の負担になりません。
 

田舎家は融通無碍、ふすまや障子を外したら、とっても広い空間ができています。


5アンペアで暮らすというのは、電力の消費を減らすということですが、身の回りにあるエネルギーをうまく生かすことも大切です。
その意味では、小さな扇風機を一つ回すだけで、冬の暖房をまかなって家じゅうを快適な温度に保ってくれるOMソーラーも、とても優れています。暖かい空気をいったん電気に変えたりしないで、そのまま使うので、ロスが少ないのです。

夫はさらに、谷川の流れている水で、小さな水力発電ができないかと思っていて、近々、いろいろな試みをしている飯田市の見学に行こうとしています。何かできるでしょうか?
とっても楽しみです。







2017年5月26日金曜日

京都から来た狐さん

信州飯田に住んでいたブログ友のtopcatさんは、しばらく前から京都の人形師に弟子入りして、胡粉の人形づくりの修行を積んでいます。
そしてときおり、京都の町で見つけた、素敵なものたちがいりませんかと、声をかけてくれます。


そんなtopcatさんから、「福狐」が届きました。
京都河原町にある、岬神社土佐稲荷の授与品の狐さんです。


シンプルな箱の中の、シンプルな包みの中から出てきたのは、


表面がざらざらにした、砂糖菓子のような磁器の、一対の狐さんでした。

topcatさんによると、この狐たちは稲荷社の中で見つかった古いもので、新しくつくった箱に入れて授与しているということですが、狐さんのことゆえ、真意のほどはわからないとのことでした。
そういえば、古風な感じがしないでもありません。


狐さんたちは、立派な尻尾を持っています。


そして、手のひらにすっぽり入るほどの小ささです。


故郷の信州にいたころから、topcatさんは仕事の傍ら、余暇で古い人形の修理などをしていました。
修行の道に入ることを決心した経緯を深くは知りませんが、将来は人形師としてやっていきたいということなのでしょう。
 
工房風景、topcatさんのFacebookより
 
師匠から、「春絵」という雅号をいただいたそうです。

topcatさんはまだ三十歳にもなっていない狐男子。前途は洋々、人形づくりを未来につないでいく、素敵な人形師となることでしょう。
頑張れ!







2017年5月25日木曜日

棕櫚のトレイ


Oさんの家に飾られていた、棕櫚の葉の籠です。
知り合いの方がつくられたものだとか、籠の原型であるココヤシの葉の籠に通じます。


以前、棕櫚の葉で魚をつくったら、時間が経ったら乾燥して、スカスカになったことがありましたが、時間が経っていても美しいこと。


下から見たところ。


というわけで、早速棕櫚の葉を切ってきて、真似てつくってみます。


葉が、うちわ形ではなく、円形についているのをどう処理するのか、結論を出さずに見切り発車で編み始めます。


葉が多すぎるので、途中から二枚重ねて編みましたが、きれいな船形にはなりそうにありません。


そろそろ限界かなと、葉を数枚切り離しました。


葉のつけ根が硬くて曲がらないため出っ張って、ちょっと似て非なるものができてしまいました。
 

見せていただいたのは、鳥のように軽やかだったのに、できたのは、太り過ぎた金魚のようでした。


で、数日たってから直そうとしたら、硬い葉柄が折れてしまったので、柄を短く切りました。
舟みたいで、太った金魚よりましかな?
なかなかうまく編めません。




2017年5月24日水曜日

丸散らしの器

「最近、レストランや居酒屋を開くのに、伊万里使う人が増えていて、手持ちのものが東京でごっそりまとめて売れてしまったのよ。だから仕入れに新潟まで行って、夜中帰って来たから、ほとんど寝てないんだ。ふらふら」
と、骨董市でまことさん。
全部売れてしまったにしては、その日も大小の伊万里の器が所狭しと並んでいました。

数十年前に比べると、たくさん出回ってきたためか、伊万里は値段が手ごろになっています。
店を開くとき、新しい器を揃えるより、ずっと安くつくと着眼した店主さんのお店、素敵なお店に違いありません。
「これなんか、煮物を入れて、カウンターにどーんと置いておいたら素敵ね」
中には、洗面器ほどの大きさの鉢もありました。


器はもうたくさん、と思いながら、ついつい印判の鉢を買ってしまいました。


直径23センチ、高さ8.5センチ、使いやすい大きさです。
 

丸紋に、勾玉紋が散らしてあります。
  

散らし方にむらがあって、込み合っているところもあれば、空いているところもあります。


いろいろ盛ってみたら具合よかったのに、写真を撮り忘れました。
慌てて撮ったこれは、茹でたブロッコリーと切ったトマトという芸のなさ、超ナチュラル(超手抜き)な、料理とも言えない代物でした。