2017年10月6日金曜日

藍商の家


四国の旅の報告の、最終回です。

田中家は吉野川南岸の平野に建つ、藍商の家です。
寛永年間(1624-43年)に初代が入植して以来、すくも(藍染料、固形化したら藍玉になる)、藍玉、青藍を製造販売していました。
しかし、毎年吉野川の氾濫の被害を受けたので、安政元年(1853年)ごろから現在の敷地の造成にかかり、約30年かけて、母屋のほかに、藍寝床、味噌部屋、番屋、藍納屋などのある、中庭のある家を完成させたそうです。
この辺りには、このような藍商の家がいくつもあり、そのいくつかは、マイクロバスの車窓から見ることができました。


田中家を裏から見ると、吉野川の氾濫に備えた石垣を見ることができます。


石垣を築いて氾濫に備えるだけでなく、水が高くまで来たときは、屋根裏部屋に近所の人たちも一緒に避難できます。さらに水位が高くなったら、屋根に上ると、屋根が建物から切り離されて船になって流れるようにつくられていますが、そこまで水位が高くなったことはなかったそうです。

日常的には、ここで働いていたのは、近所の人たちですが、藍を刈り取って加工する忙しい時には、季節労働者がやってきて、納屋の二階に泊まり込んで作業したそうです。
 

私が関心を寄せたのは、南藍寝床に残されている、道具の数々でした。
写真の右が母屋、左が藍寝床です。


大きな渋団扇は、何かを冷ますとき使ったものでしょうか?
踏み台や銭函も見えます。


こたつのやぐら、火鉢、湯たんぽなど。


大小、いろいろな樽。


かせ繰り機、糸車など、糸繰りに使う道具たち。
吉野川の氾濫原では桑も植えていたということなので、蚕を飼って絹糸をとって藍に染めたのか、それとも山間部で栽培された綿の糸をつくったのか、どちらでしょう?
訊きそびれました。


大小の飼葉切りは、藍を切ったのでしょうか?


石臼、おひつや蒸篭など。
 

田を均す道具などなど、勝手に侵入して見学、見飽きませんでした。


家は中庭を囲んでロの字型になっていて、これは母屋から門を見たところです。

私は、この家を見て、デンマークの、宿になっていた家を連想したと夫に話すと、夫は、ガーナ北部の家を思い出していた、と話していました。
中庭を挟んで建物を配置すると、建物だけでなく、中庭が空間としての存在感を主張して、ある種の似た雰囲気をかもし出すのかもしれません。



納屋は、我が家の作業棟にちょっと似ていました。


軒が深くて、雨でも十分作業できます。


その軒裏です。
我が家の軒裏はただの野地板ですが、割った竹で杉の皮を抑える仕上げ、何とも風情があります。


軒下には、唐臼が備えつけてありました。
ラオス、タイ、バングラデシュなどでは見かけた唐臼ですが、日本では初めて見ました。
踏むのではなくて、手で押し下げるのでしょうか? 


井戸の釣瓶はどうしてこんなに大きいのでしょうか?
藍を加工する工程では大量の水を使ったと聞きました。藍寝床の床は、いくら水を使っても、ぬかるんだりせずに、水が染み込むようにつくられていたそうです。







10 件のコメント:

hiyoco さんのコメント...

すごく大きなお屋敷ですね!藍って馴染みがありませんが、昔は重要な産業だったのですね。うちに唯一あるのは夫の端午の節句の兜が入った箱を包んでいる藍染の風呂敷です。触ると手が青くなるので天袋の奥にしまったままです。
洪水に供えた家の作りがずごい!屋根が船って面白いですね。
ちょうど今日の新聞に入っていたタウン誌に、藤沢の北の方で藍の花が見ごろですというニュースが載っていました。タイムリー!

Bluemoon さんのコメント...

藍色に惹かれます。特に食器だと、ほしくなります。このことを友達に話した時に、小泉八雲が日本は藍の国と書いていることを聞いたことがあります。藍商家の写真を興味深く見ました。でも、何といっても船になる屋根が驚きです。これは田中家のアイデアなのですか。ノアの箱舟、浮かびました。

さんのコメント...

hiyocoさん
絹や羊毛など動物繊維は染まりやすいのですが、麻、木綿と言った植物繊維は濃い色に染まりにくいのが難点です。ところが、藍は染めやすく、重ねて染められて、濃い色も出せます。農作業に白などを着ると汚れが目立ちますが、藍の作業着は汚れが目立たないうえ、蚊などの虫もその匂いで防いでくれると、世界中で珍重されました。寒いところでは藍が育ちにくいので、紺屋(藍染め屋)は、全国にありましたが、たいてい徳島の藍を使いました。
日本の藍はタデ藍、ヨーロッパにも熱帯にもマメ科など、別の種類の藍があります。インドやインドネシアのバティクも色は藍が基本です。
風呂敷は、二回くらい洗えば、色落ちしなくなりますよ。

さんのコメント...

Bluemoonさん
田中家のアイデアみたいです。屋根裏部屋から茅葺屋根の一か所を押すと、簡単に取れるようになっていて、そこから屋根の上に出るのだそうです。
それにしても、洪水との共存、面白いですね。カンボジアも、乾季には使えた道がみんな沈んで、舟でしか行けなくなるのですが、みんなそんなものだと思っていて、乾季よりかえって早く行けたりしました(笑)。
日本は確かに藍の国ですが、タイも藍の国でしたよ。みんな藍の野良着を着ていましたが、近頃ではめっきり少なくなっているかもしれません。

昭ちゃん さんのコメント...

 姐さん懐かしいです。
火鉢の傍にある「陶製の湯たんぽ」は色も
大きさも私が使用したのとまったく同じで
朝はぬるくなったお湯で顔を洗いました。
 

さんのコメント...

昭ちゃん
私もこの湯たんぽはよく知っていますが、使ったことはなかった気がします。
でも、素焼きの蓋物に炭を入れて、その上にやぐらを被せたこたつは小さいころ入れてもらった記憶があります。子どもがこたつをけ飛ばしたりして、一歩間違えば火事になるので、大人は気が抜けなかったことでしょう。もっとも、お布団を寝るまで温めておいて、寝るときはこたつを抜いていたのかもしれません。
湯たんぽはあばら骨みたいなやつでしたが、いつ頃使ったか、自分が使ったか、あまり覚えていません。息子たちが小さいころも湯たんぽを使いましたよ。

昭ちゃん さんのコメント...

小判型の湯たんぽは
痩せた人を称した言葉であばら骨を
湯たんぽのリブに見立てましたからね。
 ちなみに日露戦争当時将軍たちが着ている
軍服は別名「肋骨服」です。(笑い)

さんのコメント...

昭ちゃん
あっはっは、肋骨服と呼ばれていたんですか、ぴらぴらと、あばら型に何かをぶら下げていたんですね。
あるものすべて消えて、あるものすべて変化していきますが、あの男性のネクタイ姿は、いつまで続くのでしょうね?変だと思いません?まあ、西洋の襟の周りにフリルをつけてタイツをはいた正装も、ちょんまげに裃姿も消えましたから、いつかは消えると思うのですが、ネクタイは長いですね(笑)。
まあ、あれさえつければ世界中正装ですから、お手軽だとは思うのですが。

hiyoco さんのコメント...

今日のNHKブラタモリは徳島で、春さんが訪問した藍商の田中家が出てきてびっくり!石垣の写真がテレビの画像と全く同じで、夫に「ほら、同じ!」とPCを見せてしまいました(笑)。この記事について問い合わせたBluemoonさんは予知能力があるのかしら?
藍は連作を嫌うけど、吉野川が毎年氾濫して新しい土を運んでくるので、徳島では毎年藍を育てることができた、という話をしていました。

さんのコメント...

hiyocoさん
あらぁ、そうでしたか。
テレビは朝ドラさえ見なくなって、お昼のニュースをご飯を食べながらちょっと、そのとき夜の番組の予告をしていて、「これは見よう」と決心してもほとんど忘れてしまいます。夜テレビを見る習慣がない(笑)。ブラタモリも偶然ちらっと眼にしたことがあって、面白そうだなと思いましたが、ちゃんと観たことがありません。
Bluemoonさんはどうしたのでしょうね?(笑)。オーストラリアでブラタモリが観られるのかしら?

記憶が定かではないけれど、一時徳島県は江戸に次ぐ人口だったそう。藍を全国に出していました。藍には虫除けの効果もあったけれど、木綿がよく染まる染料はほかにはなくて、化学染料以前は、世界中で本当に大切なものだったのですね。
あの前日の記事のうだつの町で、遠くに見える吉野川の水が町の裏まで来ていたというのだから、吉野川は「あばれ川」としてすごかったのでしょう。それにしても、ナイル、メコンなど、氾濫原利用というのは農業の基本だったのかもしれません。